狂った文を書いてみたい

 意味が分からない文章を書いてみたくなったのでやってみた。極力考えようとせずに、意識に上ってくる言葉を繋ぎ合わせてみたら、『パプリカ』に出てくる島所長の演説に憧れる人みたいな文章が出来上がった。間違いなく痛いのだが、正直好みの文章になった。「無」になって溢れる言葉を出していくと、頭が軽くなったように感じる。サウナで言う、ととのうの状態に近いことに驚く。
 やってみて思ったが、表現に意味を探すことを生業としている自分は、結果として生まれた、眼前にある表現そのものを楽しむということを忘れていたかもしれない。意味を求めると疲弊する。生産性が無いとされてしまうようなものたちは、その意味の無さでもって人を豊かにしているし。
 だんだん詭弁めいてきてしまった。たまには無意味もいいなと思えたデトックス文です。


 今日は近所の川辺を散歩した。確かに人形劇の一座は他の追随を許さない面持ちで、屋上からタンポポを見上げていた。僕はいっとう綺麗なタイヤホイールにマッチの火を近付ける。見守る月は、無声映画で見た表情であった。その時、背中から頭の天辺までをススキが飛び跳ねてゆくので、僕は水の中に落ちる。川底には雲があったし、ベビーベッドもあった。沈むということは、まぶたの裏でシャチハタの赤インクがべっとりと凝固し、百合の花がコバルトブルーになる頃に、また五人でブランコに乗ろう。



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