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【会見録】 #身体拘束 後に弟ケリーさんが死亡した件に関する兄パトリック・サベジさんの記者会見|厚労省記者クラブ(2017.07.19) #NoRestraints

はじめに

2017年5月18日に神奈川県大和市の「大和病院」での10日間の身体拘束後に心肺停止により死亡したケリー・サベジ(Kelly Savage, 27)さんの兄パトリック(Patrick Savage, 32)さんが同7月19日、厚労省記者クラブと外国特派員協会で初めて記者会見を行いました。会見内容をパットさんご本人が公開したので映像資料と合わせて許諾を得て全文転載します。


全公開原稿と資料外国特派員協会会見でのプレゼン資料

会見本編

弟ケリーの死における不適切行為の根拠として
Evidence of Mistreatment Regarding My Brother Kelly's Death

ケリーは私の唯一の兄弟であり、一番の友人でもありました。彼の死は私の家族やケリーの友達にとって、最悪の悲劇でした。私は身体拘束が付けられたときに一緒にいたり、病院とのやりとりを行った者なので、今日は弟の人生についてではなく、客観的な証拠に集中したいと思います。証拠の出どころなどは配布資料を見ればわかるかと思います。

今年の三月からケリーは薬を飲むのをやめ、4月に気分が悪くなったそうでした。4月25日に安心できる場所で薬をまた飲み始めるために鹿児島県から飛行機で私が住んでいる横浜のマンションに来ました。その時、せめて生まれたばかりの甥に会うことができてよかったと思っています。

残念ながら、薬をまた飲み始めたにもかかわらず、症状が悪化してしまい、4月29日の夜と30日の朝に何が現実か分からなくなったようでした。大声で叫んだり、止めようとする父を押したり、外に走り出したりしました。救急車を呼びましたが、精神病には対応できないので暴力的になったら警察を呼ぶように言われました。

朝の8時頃、悪化の可能性を考え私が警察にスタンバイしてもらおうと110番しましたが、すぐ来ると言われました。ケリーは連れて行かれる際抵抗しましたが、警察が抑えて手錠をかけました。誰も怪我はしませんでした。その後自分の足で歩き警察に同行し、パトカーで私と共に戸部警察署まで連れていかれました。横浜市役所が大和病院に措置入院を勧めました。

大和病院で石井院長先生と横浜市役所の先生が措置入院の面接を行い、ケリーはもう暴れていませんでしたが、先生の質問には答えませんでした。14時58分に横浜市長の権限のもとで措置入院が決定しました。私とケリーは一緒に二階の閉鎖病棟まで連れて行かれ、施錠可能な個室に入りケリーはベッドに寝るよう指示されました。ケリーは協力的で言われた通りにベッドに寝ましたが、それにもかかわらず両足、腰、両手首を拘束されました。

診療録によると、「精神運動興奮状態に陥る可能性が高く、不穏、多動、爆発性が考えられ、放置すれば患者が受傷する恐れが十分にある。やむを得ず精神保健指定医が診察の上、本人に口頭及び書面にて告知し、四肢体幹抑制を開始する。」と書いています。つまり、「可能性」はありましたが、その時点で暴れていたとは書いていません。そして、10日後の「5月10日、大和市立病院へ救急搬送のため、拘束解除 」と書いています。

その間、拘束解除に関する記録は書いていません。

拘束された時点で、私は看護師に拘束する必要はないのではと聞きましたが、とりあえずしばらく拘束されると言われ、そのためオムツ付きのパジャマセットを買わされました。主治医と指導医との話によると、その後手首はたまに外されたが、5月10日の心肺停止で発見されるまではたまに身体を拭くなどの行為以外では足と腰は外されなかったと言われました。

5月10日21時25分に心配停止状態で看護師に発見され、大和市立病院に運ばれました。50分後に心臓が再起動しましたが、残念ながら手遅れでした。意識と呼吸は戻らないため、昏睡状態で呼吸器に繋げられました。5月15日のCT 検査によって、ケリーの脳へのダメージが大きすぎて意識が戻る可能性はほぼないことがわかり、5月17日に心臓が止まり死亡が確認されました。

その前の5月14日に大和市立病院の心臓専門家の主治医が血圧、酸素、血液検査の数字を根拠に、「推定ですが、10日間、抑制されていたことを考えると、いつから出来たかはわかりませんが、深部静脈血栓が発生し、肺塞栓に至り、心肺停止となった可能性が考えられます。」と正式な書類に書きました。

この可能性を知ったのはこの時初めてで、それを聞き家族全員が涙を止めることができませんでした。身体拘束は非人道的で今回の場合不要だとは思っていましたが、心肺停止の原因だったかもしれないとは夢にも思っていませんでした。しかし、少し調べたら身体拘束と深部静脈血栓の関係性が非常に高いのはよく知られているようです。2014年に出版された学術論文によると、日本の精神科病院で3日間以降拘束される患者のほぼ5人に1人が深部静脈血栓ができてしまうそうです。

病理解剖結果ではっきりとした答えが出ることを期待していましたが、 心肺停止状態になった原因は見つかりませんでした。現存する心臓の問題がなかったため、消去法から考えられるのは深部静脈血栓による肺梗塞、もしくは薬の副作用だと言われました。血栓が比較的新しい場合、亡くなってから凝固した血との区別が難しいため、病理解剖で血栓が見つからなくても血栓がなかった証拠にはならないと言われました。

そこで、大和病院に調査や記録を求めましたが、大和病院長の手紙によれば病院は一切の責任を持たず、日本医療安全調査機構にも報告しないと言われました。残念ながら、医療事故制度では、機関が自ら報告しない限り、調査をすることはできないと日本医療安全調査機構に言われました。大和病院は報告をしない理由として、ケリーの死因は「当院の医療行為によるものとは、当院としては考えられない」というふうに書きました。しかし、7月12日の私の録音した大和病院の医師との会話によると深部静脈血栓の可能性は「多分ある」と指導医が言い、そうであれば院長の提示した理由と矛盾することになります。

7月12日に一時間ほど診療記録の閲覧を許可した以外、大和病院は一切のカルテの開示、コピー、写真撮影などを拒否しています。初めて電話で依頼したのは5月31日で、渡すつもりが全くないことが分かってから7月7日に佐々木弁護士を代理人として正式な文章を送っていただきました。数週間経っていますが、はっきりとした返事は未だ来ていません。ニュージーランドの外務省が現在日本の政府にその対応の適切性を問い合わせているところです。

最後に、昨日初めてカルテ改ざんの証拠と思われる情報を得ました。録音された7月12日のカルテ閲覧会では、深部性脈血栓の対策として4月30日14:08に血液検査を行ったというふうに書いてありましたが、私はその時間ケリーと一緒だったのに血液検査を見た覚えはありませんでした。昨日横浜市役所に電話で確認したところ、措置入院決定の時間は私が覚えていた通り 14:58だったので、その50分前に血液検査を行ったはずがありません。

書類開示はまだ拒否されていますが、時間の不一致の証拠となる録音はあります。

残念ながら、弟の死は例外的な事件では決してありません。今こうして取り上げられていますが、ケリーがニュージーランド人で、ニュージーランドの最も大きな新聞の一面に掲載されたからにすぎません。最近、幾つかのメジャーな日本の新聞が私の取材をしてくださいましたが、一ヶ月以上前にこの事件を報告した時には返事が来ませんでした。

ケリーが拘束されていた10日間は例外的に長いわけではなく、むしろ日本の平均時間である96日よりも圧倒的に短いです。きっと、ほかに同じような悲劇があって公表できずにいた遺族はいっぱいいるのではないかと思います。私の家族だって、この2ヶ月は非常に辛く、何回もやめようかと思いました。しかし、辞めてしまえば、ほかの家族も同じように問題のある日本の精神医療制度の犠牲になる一方だと考え、あきらめることはできませんでした。

2020年のオリンピック・パラリンピックのホストである国が人類の平等性をうたう一方、国連が出す精神病患者の人権をここまで著しく違反してもいいのか?世界はこの現実を知らなければなりません。日本はこの現実を一日も早く変えなければなりません。

私の弟が経験した悲劇は今後絶対、二度と起こらないよう願ってやみません。

以上です。

noteをご覧くださりありがとうございます。基本的に「戦う」ためのnoteですが、私にとって何よりも大切な「戦い」は私たち夫婦のガンとの戦いです。皆さまのサポートが私たちの支えとなります。よろしくお願いいたします。