破壊された女のintroductionとして

これは希望の物語にはならない。そのことははっきりしている。だってそんなものはどこにもないからだ。私はもう見せかけの希望が自分に何の関係があるのかわからなくなった。あらゆる希望は自分とは全く関係のないところで光っている。しかし私には、それを本当には手に入れることはできない。そして私の周囲や足の下にいる今死にゆく者たちも、それを手にすることはできない。私は前に進むためにこの作品を作ろうとしているのではない。新しさのためのものを生み出そうとしているのではない。そういう、前を向くための作品ではない。

踏み出せなかった人のために、後ろばかり見ている人のために、私はなにかを掬い上げようとして暗い淵に腕を突っ込もうとしている。そしてそこにはなにもない。そんなことはもう知っている。だって私にはもうなにもないのだ。

希望ではもはや癒されないものがある。輝く善のなかに、私ははいることが出来なかった。しかし、善なるものから零れ落ちた者にも、癒しが必要で、それは許しではない。もはや魂の欠片は、苛烈で痛みを伴う、ストレスの嵐の中でしか癒されないことを希望を求めるだけの大勢の人々は分かっていない。

すでにあったはずのもの、過ぎ去ったもの、みなが希望ばかり見ようとして見ていなかった、置き去りにされていった人のことを語りたい。先に進むことのできなかった人について語りたい。つまらない人のことを語りたい。生き辛い人のことを語りたい。それが物語にならない人のことを語りたい。物語に回収されない日常の豊かさを掬い上げる。物語以前の何かを掬い上げる。そういうような作品は、たくさんある。でも、そんなところに「わたし」はいなかった。そういう手つきでも、そこに、私の感じていた痛みは。苦しみは。つまり、私の生の実感のほとんどとされるものはなく、幽霊のような手触りで私の手をすり抜けていくだけだった。だから、そうじゃないんだ。そうじゃない話が今必要なんだ。そういう使命を私は感じている。だから私は原作というものを一旦置いて、自分の言葉で作品をつくろうと思った。私のことは、私が、語らなければ、なかったことになってしまうんじゃないかと思っている。

でも、ここで私が語ろうとしているのは私のことだけではない。私自身のことでもあるけれど、それ以上に、それを通して、語る言葉を持つことが出来なかった人に、少しでも近づくための言葉だ。そのために私は言葉を使う。地獄のための言葉だ。死者に近づくための言葉だ。《あの》冷たさ。《あの》何もなさ。《あの》苦しみ。その人々ひとりひとりの、固有の《あの》感覚の前に、誰かの感じている苦しみとは何もかも違う苦しみを、私も含めたすべての人間が抱えていて、それは本当の意味では誰とも分かち合うことはできず、比べることもできず、癒すことのできない苦しみであることをはっきりと認識するための作業だ。

自分が自分であること、生きることそのものによって砕けた魂と、その抱えていた、憎しみはどこに行けばいいのか? まつろわぬ、破壊された魂の欠片たちは、見えなくなって、永遠の炎のなかで生きながら苦しみ続けている。生きながら死んでいる。もう終わってしまった人のために。ばらばらになった人のために。そのための歌を歌わなければならない。そのための言葉を探さなければならない。そういう作業だ。

(誰よりもかわいそうな)J.Eに

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Kouki Tokuchi

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