SLANG

SLANG

俺は行間の代弁者
行間をどう読もうが 俺の自由だ

紡は果たして夢を見ずにぐっすり眠れるようになったのだろうか。
救いが訪れたのだろうか。
早く僕を有罪にしてくださいが、僕を殺してと願っているように聞こえて仕方がなかった。
遺族に否定された瞬間にあの世界は終わった。
そう感じた。
何が正しい?
何が間違っている?
誰が正解?
どれが真実?
誰が殺した?
違う、全てが正解でどれもが不正解。
それぞれが各々の本を持っている、たった一つだけが真実。
この世の全てが虚構で、全ての言葉がSLANGに過ぎないのかもしれない。
ただ一つ言えることは、
なんの解決にもなっていないように感じるけれど、この舞台は確かに誰かの背中を押した物語だった。
終わりの始まり。
否、終わりは始まりだと思う。

私は空間の代弁者
この物語をどう読もうが 私の自由だ

 SLANGの題材っぽく書いてみたけどしんどいからやめ。単純に言うと、言葉で他人を意図せず傷つけた事から本(言葉)を見失ってしまった主人公が、周りの人の言葉で自分の本に帰るお話。こう解釈すると櫂の「俺も帰ろうかな」が上手くはまった。
 1回目見たとき現実と夢の境目が曖昧になってきて気分が悪くなったんだけど、この物語は現実も夢も含めて虚構だったのではないか?と感じた。きっと紡は現実にいたんだろうけど何故こう感じたか、パンフレットの赤澤さんのインタビューで「舞台はお客さんにとって夢の世界である、だけど僕にとっては紛れもなく現実の世界。夢をみせるために僕は現実の世界を生きる(要約)。」と言っていてなるほどこれか、って思った。この作品全体が虚構であると押し付けてくるのに現実を生きる人たちがいる事で、自分の感情に齟齬が起こって混迷したのかもしれない。虚構の中の現実であり、現実の中の虚構だった…やっと物語の一つの芯に触れられた気がした!そして私が曖昧になっていくと同時に紡(有澤くん)が夢と現実の狭間で狂っていくので感情移入してしまって呼吸が浅くなって苦しくなった。


 赤澤さんと北村さん、この2人は別々に話してはいけないように感じる。全ての動きがリンクしているのに真逆の事をしている。
その計算高さは赤澤さんで、その中の心地の良い抜き具合は北村さんのものかな。コミックリリーフ的役割もまくし立てるような言葉の掛け合いも良い相互作用を生み出していてSLANGという世界の幅を広げてた。SとM、動と静、表と裏、秩序と自由、正と守、牛頭馬頭も検事と弁護士も似ているようで正反対。正論を相手にストレートで打つけるゴズ・検事に対して、長い物には巻かれろというかのごとく矛先が自分へ向かってくると身を守ろうとするメズ・弁護士。
 裁判で判決が出る直前にペン先を仕舞う弁護士と、ペン先を出す検事。そのペン先に乗せた感情は何だったんだろう。私には検事は鼻で笑うかのような音で、弁護士は息を呑む音に聞こえた。
 裁判のシーンで自殺ってワードが出てきたときに弁護士がネクタイを触ろうとする仕草をしたんだけど、毎公演あったのかたまたまだったのかが気になる。

 最後に有澤さん、初座長とは思えないくらい文字通り堂々と舞台上で世界を造られていて物凄くかっこよかった。有澤くんのイメージ通りの暖かくて大きくゆっくりとした時間の流れを感じてこれが有澤くんの世界なのかもしれないと思った。少しだけ触れた気がする。また真ん中に立つ姿が見たいと思った。


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