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断片的ミカエル・リャブコ伝


5月9日はロシアの戦勝記念日。

ソ連がナチス・ドイツを攻略した日。名高いスターリングラードの戦いなどでソ連はナチスドイツとの戦いで軍人、民間人をあわせて2600万人以上もの人命を失ったという。ざっと東京都2つ分といえば、その規模がわかるだろう。

ミカエルが生まれた頃、成人男性はほとんどナチスドイツとの戦いで死んでしまっていたという。それほどの過酷な戦いだっただけに、ソ連からロシアへと変わった今なお、5月9日は戦勝記念日として盛大に祝われる。モスクワでは大規模な軍事パレードが行われ、駐日ロシア大使館でも戦没者の遺影を掲げて大使館の中庭を行進するのが恒例となっている。このへんは在日ロシア大使館のFBページや、Twitterアカウントを見ていただければよく分かる。5月9日は祝日なので、ロシア大使館では式典が5月6日に行われ、そこにミカエルの随伴で参加させていただくという経験ができた。ロシア大使館の投稿にもミカエル達が写り込んでいるのが見つけられると思う。

写真:駐日ロシア大使、ミハイル・ガルージン氏と。

5月9日の戦勝記念日当日は東京から大阪への移動日。

この日はクラスがなく、戦勝記念日ということで珍しくミカエルが自分のことを語ってくれた。かつてミカエルが戦った戦場での話を色々と聞かせてくれたのだけど、何よりも驚いたのがミカエルが内務省直属の特殊部隊SOBRの中において、さらに過酷な訓練を積むことで知られる特殊部隊の中の特殊部隊「ルィシ(рысь 山猫部隊)」の創設メンバーだったということ。

ミカエルは指揮官のアンドレイ・クレスチャニノフ氏の右腕としてルィシの創設に尽力したらしい。

写真 アンドレイ・クレスチャニノフ氏のお墓にて。左端はシステママスターとしても有名なセルゲイ・オジョレリフ。セルゲイとダニール・リャブコもルィシに所属していた。

アンドレイ氏の名前の上には「Герой Русский(ロシアの英雄)」と刻まれているが、これは「ロシア連邦英雄」のメダルを授与されたことによる。これは歴代授与者にレスリングのアレクサンドル・カレリンや、アサルトライフルのAKシリーズの開発者ミハイル・カラシニコフなど錚々たる面々が並ぶ、ロシアにおける最上級の称号である。墓石の右上に刻まれているメダルがそれだ。

1996年。アンドレイ氏の葬儀にて。ミカエルが隊員を代表してアンドレイ氏の遺影を掲げている。

ルィシ創設20周年記念パーティーにて。創設メンバー代表としてミカエルが中央に。背後の垂れ幕の左上に山猫をあしらったルィシのエンブレムが見える。

ルィシの施設にてミカエルとセルゲイ。

ルィシの元メンバーと。中央の人物も指揮官を務めた。

かつてミカエルはプーチンに「ミカエルらの活躍がなければ今日のロシアはなかった」と言わしめたとのことだが、ルィシの創設メンバーだったのであれば、誇張やお世辞というわけではないだろう。

ルィシ所属の軍医の話も凄まじい。

呼吸困難に陥った隊員に駆け寄るや躊躇なく気道を切開して傷口にストローを刺し、呼吸を確保する。そんなやり方で何人もの隊員を救ったのだそうだ。この人物の写真も見せてもらったのだけど、背景にまだ現役で活躍している隊員が写り込んでいるという理由で公開できないそうだ。

ルィシには一般の兵卒がおらず、将校のみで構成されているという。ルィシについては下記の本にて、わざわざ1ページ使って説明されているので、興味ある方は参照されたい。もし他にも記載がある書籍をご存知の方がいれば切にお知らせ願う。


あともう一つ、ミカエルが見せてくれたのがミカエルの父ヴァシリー氏の写真。リャブコ家は代々ヴァシリー、ミカエル、ダニールの3つの名が繰り返されるのが伝統になっている。そのためダニールの息子はヴァシリーで、ヴァシリーが男児をもうけたらミカエルと名付けられる。

若き日のヴァシリー・リャブコ氏

晩年に近いヴァシリー氏。

左端がヴァシリー氏、中央がミカエル。ヴァシリー氏は2000年頃に没しているのでその少し前の写真と思われる。

ミカエルの父といえば、有名なエピソードがある。

コサックの一族としてリャブコ家では代々馬を飼っていた。ヴァシリー氏も自宅に馬を飼っていたのだが、ある日、ミカエルが幼いダニールとともに帰省した際、馬がダニールの手を噛んだのだという。ダニールの泣き声を聞きつけたヴァシリーはすっ飛んでくるや否や馬の横っ面を殴りつけ、馬は繋がれていた荷台ごと横転したという。

ただミカエルはモスクワ市内で住む都合で馬を飼うわけにはいかず、ヴァシリー氏が亡くなった際に家ごと売り払ってしまったそうだ。

ミカエルは「そんな父に比べればまだまだ」と言うが、祖父はさらにとんでもないらしい。そんなミカエルもまた15歳で軍に入隊した際、寮内で横行していたイジメに腹を立て、寮生を片っ端からぶっ飛ばして、ある者は窓から叩き落としたりしたなんてエピソードを聞いたことがある。

こうして話を聞いているとミカエルはまさに今日のロシアを築き上げた功労者の一人ということがわかる。

ともすると重苦しくなりそうな話なのだけど、なぜか笑い話になってしまうのはラリッサ夫人の存在によるところも大きい気がする。

ルィシ時代の過酷な話でさえ「そんなこともあったわよねえ、アッハハハハ!」と笑い飛ばすラリッサの明るさにミカエルはずいぶん、助けられたのではないだろうか。

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