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孤独感

結局のところ人は理解し合えないと諦めてから人付き合いの仕方が変わった。あるいは人付き合いが変わったから理解し合えないと思ったのだろうか。どちらが先かはもう覚えていない。

それでも人は他者の存在なくして生きられぬ。今日も一人で出かけるのは味気ないと感じてしまった。以前ならそれを弱さだと断じただろうが、今は「ああ、そうか」と受容するだけだ。ただ受容できても孤独感は霧散しない。

俺は何のためにここに来たのか。作品を撮りたかったのか、見たことのない景色を見たかったのか。そのどちらであっても友人たちと一緒に来ていないことがこれほど堪えるとは思わなかった。いつからこんな真人間みたいになっていたのだろうか。

旅程を心から楽しめなくても花は美しい。芝桜をきちんと見たのは初めてだが、まず色が良い。これは人を入れて撮りたくなる。

今回は所有する全てのレンズを持って行った。それが良くないことだと分かっていながら、なぜ35mmF2と50mmマクロまでカバンに入れたのか。欲が出ているのが機材においても現われたのだろう。

この写真もXF90mmで撮っているが、この場所は展望スペースから超広角で富士山と会場全体を入れて撮るか、中望遠から望遠で切り取るかが良さそうだ。見出しの写真はXF16mmF1.4で撮ったが、換算24mmだとなかなか難しかった。

XF16mmは極端に背の低い花よりもバラ程度、つまりウエストレベルかそれより高い花を撮る方が使いやすい。芝桜祭の会場が花壇だったこともあるとは思うが。

一方でXF90mmは被写体は選ぶが場所はあまり選ばない気がする。風景でも使っているし、室内のポトレでも活躍している。俺の標準レンズはこれなのかもしれない。

これもXF90mmで撮っている。もうこいつ一人でいいんじゃないかな、というのは冗談半分、本気半分だ。場所と撮りたいものが決まっていればXF90mmだけでいくらでも撮れる気がする。

換算135mm付近はポートレートレンズの画角として定番らしいが、最近は85mm前後が主流らしく、135mmは悪い言い方をすると流行はずれだとどこかのレビューで読んだ。なるほど、流行に疎い俺と道理で相性がいいはずだ。

祝令和の花文字を綺麗に入れたかったが、人が絶えないので妥協せざるを得なかった。ただ写真を撮りにきている人は俺だけなんじゃないか、というくらいにはグループが多い。

撮っている時は被写体に集中できるから良い。それでもこうして写り込んだ人たちを見ていると、一抹の寂しさを感じる。

趣味も全く異なるのに同じことを楽しめるということがどれほど得難い間柄なのか、退職を決めてからはそれを痛感している。まあ今は部署が違ったり、勤務がかぶっていなかったりするのだが。

まだ見ぬ新天地でどのような出会いがあるのか。元来がネガティブだからか、期待よりも不安の方が今は大きい。一方で成るように成ると思っている自分もいる。スタンスはきっと変わらないだろうし、風土と合えば人間関係も良好に築けるだろう、と思っておこう。

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