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インプット

世間の三連休とは少しずれた三連休を過ごしている。旅に出るには懐事情が厳しく、親友の子どもが体調を崩してしまったので予定もなくなった。

幸いPhotodn展示部の写真展が原宿で開催されていたので、初日はそれを見に行くことにした。原宿のごちゃごちゃ感は嫌いじゃないが、竹下通りの人の多さにはさすがに参る。

会場は以前、写真教室の写真展が開かれたDFGだった。

スペースも違えば行った時間も違い、展示されている写真の大きさも違ったので印象は全く異なった。ただ、表現力は以前訪れた写真展も、今回の写真展もどちらも素晴らしいものだった。

紙に印刷してこその写真だが、果たして撮るときにどれくらいそれを意識しているだろうか。

綺麗だと思えば構図を吟味し、面白いと思えばとりあえずシャッターを切る。それで出来上がるものは何なのだろう。写真サークルの先輩方には「落ち着いた写真を撮る」と言われた。

少なくとも面白みには欠けているのだろう。それはこれまであまり他人の写真を見なかったからかもしれないし、そもそも芸術に対するアンテナの感度の問題かもしれない。

2日目は銀座のソニーギャラリーで開催されている横田裕市氏の写真展に行った。人が多くてあまりゆっくり見れなかったが、それでも素晴らしい風景を知ることができた。

これまで近づいて写真を見たときに色飽和してないか?と感じたり、これはノイズだよな、と思うことがあったが、そういった粗探しをするから感性が貧相なのだ。

横田氏の写真展では和紙にプリントしているそうで、特に夕焼けの中間色が綺麗だった。きっと俺がパソコンで見たらノイズと判断して現像すらしないだろう。プリントまで意識して撮らなければ作品にはならないのだと、改めて突きつけられた。

帰りは東京駅まで歩いた。以前撮ったときはまだ広場の工事中で、完成してからちゃんと来るのはこれが初めてだった。X-H1の手ぶれ補正に頼ってもいいのだが、以前は三脚を使ったので今回も同じように撮ろうと思いVEO2を引っ提げていったのだ。

この写真はX-T2とXF35mmF2で撮った。結局三脚があれば手ぶれ補正に頼ることはない。常に持ち歩けるものではないからH1は手放す決心がつかない。

それでも今回XF16-55mmF2.8を置いてきたのは良かった。構図を決めるのに三脚を担いで少しずつ移動するのは確かに面倒だったが、おかげで写欲は満たされた。やはりある程度の面倒がないと撮ったという気にならないらしい。

信号が変わった瞬間にダッシュする子どもたちと、子どもの落し物を拾って追いかける父親。もう少し後方に陣取っていればと思うが、信号待ちしている人をよく見なかったのが悪い。惰性でシャッターを切っている。

初日も2日目も写真を見たというのに、俺はそれを自分の写真に活かせるのだろうか。上達を諦めたら、いや現状に満足したらきっと後は下がっていくだけだろう。しかし一方で自分のために撮る写真で一体何を目標にすれば良いのかが分からない。

都会の風景も悪くはない。しかし美しい瞬間はあっても、畏怖に似た感動を覚えることはないだろう。そして俺が見たいのはそういう景色なんだと思う。

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