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もう若くはない

先週は長い1週間だった。環境が変わるのは多かれ少なかれストレスになる。それが良い環境への変化であっても、"今までと違う"ということは身体に悪影響を与えると実感した。

持ち帰りをすることは一切なく、私物の機器を使うこともなくなった。上り方面の通勤でPCが入るサイズのカバンだと無駄に場所を取るようになったので、小さめのワンショルダーを買った。

一人称には未だに慣れない。「先生」と呼ばれていた期間を数えてみると、かれこれ10年以上経っていた。
人生の3分の1近くを"先生"と呼ばれて過ごしてきたのだ。先生病はないはずだが(あったとしたら今の職場に採用されていないだろう)、一人称で使う言葉では一番楽だった。

共に働く人もいい人たちばかりだ。物足りなさを感じるのは、公私ともに良好な関係を築いていた前の職場が異常なだけで、本来仕事の同僚とプライベートで遊ぶことの方が少ないはずだ。

一対一での仕事を続けてきたのは、きっと自分にしかできないものがあると信じたかったからだろう。あるいは誰でもよいからかけがえのない一人になりたかったか。

一対多の環境では俺である必要性がない。むしろ集団としては本来替えが利かなければ危ない。これまで何かしら頼られるものがあり、それに依存していたんだろう。会社としても便利な人間であったと思う。なるほど、共依存は確かに心地いいものだった。

楽な環境は楽しいが、楽しいだけでは変化に乏しい。そして停滞は後退と同義である。我ながら面倒な性格だと思うが、惰性で生きられないのは働き始めた時から感じていたので今更ではある。

それでも変化が与えるストレスが思っていたより大きいと、老害に片足を突っ込んだなと痛感する。

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