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チヒロ。

これは、私の友人のおはなしです。


平凡なわたしの、これまた平凡な友人について、出会いから現在までを綴りました。


彼女の名前は「チヒロ」といいます。漢字は何度か見たことがありますが、千尋だったか、千紘だったか...定かではないので、ここではカタカナで「チヒロ」と呼ぶことにします。尤も、彼女のプライバシーだなんだにはあまり興味がありませんので、彼女のためにカタカナ表記をしているわけではない、と言うのはここで明言しておきます。
わたしとチヒロの間には、信頼や思いやり、という感情はありません。ただ互いに、とても居心地がよく波長が合うのです。そしてまた、わたしたちは、真逆なようでとてもよく似ているのです。「そんなお互いの存在に惹かれあっている」という表現が、わたしたちの友情にはぴったりです。尚、こちらも先に断っておきますが、わたしもチヒロもお互いに異性愛者であり、同性とお付き合いをしたことも、肉体関係を持ったこともありません。それは、わたしたち2人の間でも同様です。互いに女性という性を享受し、女性として男性に恋をします。そして、失恋をしたり、恋が実ったり。至って普通の大学生なのです。


チヒロとの出会いは大学の入寮日でした。荷物を運び入れているときに、隣の部屋のドアが開き、おなじく荷物の運び入れをしていたのが、チヒロでした。わたしより二回りほど大きい、色の白い女の子だなぁ、と思った記憶があります。お互い、つい数週間前までは田舎の高校生だったのですから、もちろんメイクなんてしていなくて、どちらもスカスカの前髪がおでこに貼り付いていました。
荷物を自分の部屋に運び入れたあと、寮の共有スペースに行くと春先にもかかわらず鼻の頭に汗を浮かべたチヒロが「百円ショップに行くんだけど、一緒に行かない?」と声をかけてきました。
もちろん、わたしとしても同じ寮の隣の部屋の子と仲良くなって損はありませんから、快諾しました。これが、わたしとチヒロの最初の会話です。なんの変哲もない出会いの場面です。

正直に言うと、最初の頃、わたしはチヒロに良い印象を持っていませんでした。スポーツをやったことの無さそうな白い肌、平均より大きな体、妙に耳馴染みのわるい東京弁(チヒロは東北出身のはずなのですが、妙な訛りの入った東京弁を使います)、ピンクやアイボリーの持ち物...わたしとは真逆の人が、隣の部屋だなんてついてないな、と思いました。
ここできちんと申し上げておくと、チヒロは出会った当初本当に大きかったのです。わたし自身、あまり人のことを言えるほど素敵な体型ではありませんが、いたって普通の体型です。少なくとも人生で「デブ」というあだ名を付けられたことはないと思います。
さらにチヒロは、横幅がおおきいのに加えて、身長もわたしより10センチばかり大きいので、初めて並んだときにはその体格差は歴然としていました。
チヒロは大学4年間で10キロ近く痩せましたが、依然体格差は縮むこともなく、いまだに同じベットに入って寝ると、朝には押し出されてしまっています。今後チヒロを思い浮かべるときはそんな人を想像して欲しいと思います。

こんなふうに、わたしはチヒロのことを好いていながら、難癖をいくらでもつけられてしまいます。ただきっと、これはお互い様ではないかと思います。チヒロもきっと、わたしに不満がたくさんあるのだろうな、と。
いかんせん、価値観も育ってきた環境も違いすぎる「でこぼこコンビ」ですから。

大学1年生のある晩、チヒロと銭湯に行って、歩いて寮まで帰りました。比較的暖かい春の夜に、これまたすっぴんで、夜道をゆったりと歩きながらお互いの昔話をしました。
チヒロは中学・高校と吹奏楽部に所属しており、アルバイト経験はなく、友達は片手で足りるほどしかいなかったそうです。
わたしは、同じクラスにいたら苦手なタイプというか、あまり話さないタイプだな、と思いました。
すると、わたしの昔の話を聞いたチヒロが「私達、同じ中学とか、同じ高校だったら、ぜったい仲良くなってないだろうね。あなたみたいなタイプ、苦手だったもん。」と言ったのに、妙に納得して、妙に腹が立ちました。
「それはこっちのセリフだ。」と言ってやりたくて、「そうかなぁ?」と苦笑いしました。

わたしは、思っていることの半分も口に出せない人間です。心の声の口が悪すぎて、わたしの口がそれを言葉にするのを妨げます。
チヒロの心の声もたいがい口が悪いのですが、チヒロの口はそれを言葉にするのを妨げないようです。
「そんなところまででこぼこなんだな、きっと仲良くはなれないな」と。この夜は、そう思っていました。

さて、それなのになぜチヒロと仲が良いのか、ですね。いままでほぼ悪口でしたからね。
わたしたちが仲の良い理由は、感性が似ているから、です。感性が似ているからか、会話のテンポが心地良いのです。気付いたら5時間も10時間も話し続けていたことがあります。

「会話のキャッチボール」なんていう言葉がありますが、チヒロとの会話は、キャッチボールと言うより音楽を奏でるような感じがします。どちらかが歌い始めるのに合わせて、もう一方がリズムを刻み始める。音を外しても、走っても、合わせてくれて全てアドリブで音を紡いでいく感覚です。
こんなにも会話が楽しいのは、あとにも先にもチヒロだけではないだろうか、と思います。これがわたしがチヒロに執着する理由です。

以前思ったことがあったのですが、彼女との会話は紫式部と清少納言の会話を彷彿とさせます。尤も、あの2人のやりとりは歴史上のどの文献にも載っていませんから、わたしの妄想のなかのお話しではあるのですが。
チヒロの、プライドが高く、負けず嫌いで高飛車で、そしてだれよりも機知に富んでいるところは、清少納言のそれです。むかし、国語の時間にならった「枕草子」の中納言参りたまいてを読んだときの感動と相違ないのです。(「これまでに見たこともないような素晴らしい扇の骨です」と言って、素晴らしい扇を中宮定子様に献上しに来た中納言に対して、「誰も見たことがない骨なんて、じつはくらげの骨なんじゃなくって?おほほ」と清少納言が言って中納言が笑ったよ、というエピソード。)
現代の清少納言が彼女で、紫式部がわたしです。なんとも図々しい話ですが。
文才はさておき、実は陰で清少納言の悪口を書くところは、我ながら紫式部っぽいな、と思います。

なにはともあれ、性格も価値観も正反対のわたしとチヒロは「感性」という、ただこの一点だけでつながっています。

わたしがチヒロの感性に心奪われたのは、初めて遠出をしたときのことです。2人でふと「湘南に行こう」となって、言うが早いか翌日には湘南へ出かけました。湘南のビーチと言えば、田舎者があこがれる関東の有名スポットです。その日は、まだ上着がないと少し肌寒いくらいの梅雨の時期でした。
2人で、初めてのずる休みです。生憎のどにんよりとした天気の中、大船まで電車に揺られ、密かな楽しみだった湘南モノレールに乗車しました。
その日はたしか平日で、モノレールには私たちを含めて数人しか乗っておらず、2人して幼稚園児のようにドアにおでこをくっつけて景色を楽しみました。「ねえチヒロ!あれ見て!」と言って指差したものは、蔦だらけの廃墟のような建物。
チヒロは、
「うわ・・・。なんかドキドキするよね、ああいう廃墟みたいなの見ると。怖いような、ワクワクするようなかんじ。喋るカエルとかが住んでそう。」
と言いました。

昔から、わたしは「もっと、お話しがしたいのにな」と思うことが多い人生です。遊ぶのも楽しい。ゲームもスポーツも大好きだけど、話すのが一番好きでした。話すことはなんでもいいのですが、なかでも一緒に空想するのが好きです。一緒にイメージして、あーじゃないこーじゃない言い合うのがとても楽しい時間です。
チヒロはどんなくだらない話でも拾ってくれます。懐かしいものの話で、童謡を2人で歌って、穴埋めクイズにしたりして。なぜか最後には2人でイントロドンをしていました。小学校の時流行っていた曲限定のイントロクイズです。
「わ!待って待ってその曲知ってる!!」
なんて言いながら2人で大盛り上がりして朝から晩まで一緒にいたものです。
多くの人は、2時間も喋ったら「ゲームする?」とか「アマプラでなんか映画みる?」なんて言い出します。おしゃべりすることに飽きてしまうのか、わたしとの会話に飽きてしまうのか。
チヒロとの会話は尽きることがありません。目に入ったものすべてが、トークテーマなのです。

チヒロはわたしの「もっと話したい欲求」を解消してくれた人でした。部活の愚痴はクラスメイトに、クラスメイトの愚痴は部活の友達にしていたように、わたしは「感じたこと」をすべてチヒロに話すようになりました。

湘南の旅以来、わたしたちはすっかり親友になりました。尤も、わたしが前よりチヒロにべったりになっただけですが。
寮でもいつも一緒にお風呂に入って、一緒に授業にでて、一緒に買い物に行って。わたしたちはいつも一緒でした。


わたしたちは、恋愛をするのもまた一緒でした。
チヒロに彼氏ができたら、わたしも彼氏をつくりました。わたしが別れたら、チヒロも間も無く別れました。
チヒロに彼氏ができると、チヒロがあまり遊んでくれなくなるので、彼氏がほしくなります。でも、チヒロが彼氏と別れると、チヒロがかまってくれるので「チヒロと話してた方が楽しい」となって、わたしも別れてしまいます。
逆もまた然りでした。どちらかが先に恋人ができて、別れる。追いかけるようにもう一方も恋人ができて、別れる。

チヒロはよく、わたしが男の子だったらいいのに、とよくいいます。
わたしはチヒロとはお付き合いはしたくありませんが、「男だったら絶対わたしら付き合ってるよね!」と返事をします。

そんなチヒロが、あるとき、新たな男性に恋をしました。
マッチングアプリで知り合った年上の男性です。大学2年の冬だったので、当時チヒロは20歳、彼は35歳でした。
2人が付き合い始めて3ヶ月ほど経った頃に、チヒロに紹介されてその彼に会いました。

わたしは、チヒロの彼氏に会うまでに、チヒロの彼氏についていろいろな妄想をしました。とても失礼な話ではありますが、その当時は、「21歳の女子大生とお付き合いをする35歳なんて、余程のお金持ちだったり、イケメンなのではなかろうか。」と思っていました。
2年前、ちょうど「パパ活」なんて言葉が流行っていたころだったので、チヒロが35歳の男性と付き合い始めたと聞いたときには、不正な金銭の授受があるのではないか、とあらぬ疑いをかけたりもしました。遠回しに確認をとったところ、チヒロと彼の間に金銭の授受は無く、本当に純粋に好きになった、と言っていました。それでは益々、その彼のことが気になってしょうがなくなってしまいました。これはかなりの美男子が現れる、と。

しかし、実際に会ったチヒロの彼氏さんはあまりにも普通のおじさんで、拍子抜けしてしまいました。無印○品でまとめたような服装に、短く切られた髪。身につけているものはどれも機能性重視、という感じで、とても質素な印象でした。
身長も低く体も薄いので、チヒロと並ぶとなんだか少しアンバランスなかんじがしたものです。
お金持ちでも、美男子でもなく(モグラのような愛着のある顔立ちではありますが)、ただただ普通のおじさんに、チヒロは心底惚れていたようです。

その後もますます、チヒロはわたしより彼を優先するようになりました。
わたしとしてもチヒロがこんなにも一途に誰かを思うことに嬉しさもあり、彼を優先させることを甘んじて受け入れていました。

そんなある日、チヒロが珍しく夜中に電話をかけてきました。電話越しのチヒロは泣いているようでした。
わたしはそのときかなり困惑しました。チヒロは、どんなに感動的なシーンでも涙を流すことはなかったのでこれはただごとではない、と思いました。

しかし、心から心配して話を聞いていたわたしは、最終的には腹を立てて電話を切りました。

電話の内容は彼氏にまつわることでした。彼が名古屋に転勤になったから、別れなければならなくなった、と言う話でした。
わたしは「遠距離恋愛をしたらどうか、就活で名古屋の企業を受けたらいいんじゃないか」と提案しました。チヒロのことだから、遠距離恋愛しているうちに気持ちも薄れてくるだろうし、なんて思っていました。しかしチヒロの口からは衝撃の言葉が出ました。

「彼には奥さんと子供がいるから、それは無理。」

わたしはそのことを聞いたときに、チヒロを心底軽蔑しました。
いつから知っていたのか聞くと、付き合い始める前から知っていたそうです。
彼はハナから割り切った関係を希望していて、チヒロもそれを受け入れていたそうです。チヒロは「奥さんがいる彼に魅力を感じている。」と、そうはっきりと言いました。

いままで、価値観が合わないと感じる場面は多々ありました。わたしたちが合うのは感性だけで、価値観については理解できない部分もあるのです。
大学2年生の5月、母の日の話をしたときに、「私はお母さんに何かをあげるなんて嫌。いままでプレゼントなんてあげたことない。」とチヒロが言いました。複雑な家庭の事情があるのかもしれませんが、それでもやはり家族というものへの価値観は、わたしたちは一致しないどころか真逆だったかと思います。

チヒロが家族というものに対して薄情なことは知っていましたが、まさか他人の家族にずけずけと入り込める人だとは思いませんでした。

「彼には子供がいるのに、それを知ってもなんとも思わないのか。」と聞くと、「あまり関係ない。一緒にいるときに子供から電話がかかってきたりするとツラいけど。」と言いました。
その言葉を聞いて「彼と付き合い続けている限りは、わたしはあなたとは関わりたくない。」と電話を切りました。

それから1年以上、チヒロとは音信不通でした。

大学でちらと見かけることもありましたが、話をすることはありませんでした。真夏にもかかわらず長袖のトップスを着ているところを見ると、きっとまた手首を切ったのだろうな、と思います。とすると、その頃はまだあの彼との関係が続いていたのでしょう。


そんなチヒロから、最近連絡があったのです。
「彼が名古屋に帰るときに、もう会わない約束をした。」
とだけラインが来ていました。彼は名古屋に帰ったそうです。

次の土曜日、わたちはチヒロと1年と10ヶ月と2日ぶりに会います。

あんなに軽蔑していたのに、わたしは、どうしても今週の土曜日が楽しみでなりません。何の話をしよう、チヒロに話したいことがたくさんあります。


チヒロはかけがえのない存在です。
きっと、これからもずっと、わたしはチヒロに怒って、心配して、悲しんで。それでも友達であり続けるんだろうと思います。

最後に断っておきますが、これは世界で一番大好きな友達のお話しです。

チヒロが何をしても、何度喧嘩をしても、わたしはチヒロの友達です。

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