経済学の基礎で考える人口問題5 豊島区は消滅可能性都市だったのか

 中央公論6月号に、高野之夫豊島区長の「豊島区は消滅可能性都市をどうやって脱却したか」というインタビュー記事が掲載されている。東京都区部で唯一消滅可能性都市として名指しされた豊島区が、そのショックを機に「子どもと女性にやさしいまちづくり」に取り組み、いち早く待機児童ゼロを達成し、若年女性数が増加したという内容だ。私が勤務している大正大学は豊島区にあるので、この豊島区の取り組みは素晴らしいものだと誇りに思う。
 ただ、この点に関して私が当初からおかしいと思っていたのは、「なぜ豊島区が消滅可能性都市になるのか」ということだった。東京23区の中で、ぽつんと一つの区だけが消滅可能になるというのは、感覚的に全く受け入れられない。そこでマニアックな私は、推計の前提から細かく調べてみた。すると次のようなことが分かった。
 消滅可能性都市の判定基準となるのは、増田氏らのグループが行った独自の人口推計である。ただし、独自とはいっても、そのベースとなっているのは、2013年の国立社会保障・人口問題研究所(以下、社人研)の地域別人口推計である。
 地域別の人口推計が難しいのは、人口の社会移動の将来予測が難しいからである。そこで社人研の社会移動推計方法を見ると、豊島区については通常と異なる処理が行われていることが分かった。すなわち、推計の基本的な手順としては、2005年から2010年の国勢調査ベースの社会移動を将来にもそのまま使っているのだが、豊島区については、2005年から2010年の傾向が、1985年から2000年の趨勢から大幅にかい離しているため(社会移動のプラスが飛び抜けて多い)、「2015年以降は2005年以前の趨勢に回帰する」という前提を置いているのだ。
 つまり、多くの自治体は2015年以降の推計の前提として、2005年から2010年の社会移動を使っているのに、豊島区は2000年から2005年の社会移動を使っているのだ。この社会移動は、2005年から2010年のものよりずっと小さい。
 問題はこの社会移動の前提が正しかったかである。この点を住民基本台帳ベースの社会移動で見たのが図だ。確かに、2005年から2010年にかけてはかなり社会移動が多い。特に突出しているのが2006年なのだが、これには何らかの特殊要因があるかもしれない(例えば、新しい大学が立地したとか。誰がご存知の方がいたら教えてください)。その後、2010年から15年にかけては、高水準横ばいという感じであり、明らかに2005年から2010年にかけての社会移動よりはずっと多い。つまり、2000年から2005年の社会移動を前提にしたことは人口の過少推計を招いたのではないかと考えられる。

図 住民基本台帳ベースの豊島区の人口移動

2105  豊島区社会移動

(出所)「豊島区人口ビジョン」(2016年3月)より

 東京23区の中で、(多分)豊島区だけが異なる前提を置いて人口推計が行われた結果、人口推計が過少になった。私は、これが23区の中で豊島区だけが消滅可能性都市に分類されてしまった原因ではないかと思っている。
 豊島区が消滅可能性都市に分類された時、豊島区には二つの道があった。一つは「これは計算の前提がおかしい。正しい前提を置けば豊島区は消滅可能性都市ではない」と反論する道であり、もう一つは、消滅可能性都市という判定を受け入れて、そうならないように力を注ぐという道である。私が区長だったら、多分前者の道を選択したような気がする。しかし、豊島区は後者の道を選択した。そして、今回のインタビューを読むと、結果的に豊島区の住民福祉水準は大きく改善したのであり、豊島区がそういう道を選んだのは賢明で、正しかったのではないかと考えられるのだ。
(2021年5月8日記)

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