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続・CNPJobsをきっかけに自分の職についてガチで考えてみた

私は獣医師として、前作の分も含めると10年ほど畜産の分野で働いていました。

獣医師とは言うものの、動物の命を救う場面よりも、動物の命を奪う場面の方が圧倒的に多く経験してきました。

「役に立たなければ淘汰(処分)する」、家畜の現実です。

*ここから先は包み隠さずに書きます。凄惨な場面を思い起こすような記述もあります。不安な方は無理して読み進めないでください。

豚を例にすると、病気だったり同腹(兄弟姉妹)からはじかれたりして、充分に餌を食べれず、増体が見込めない個体は次のステージに進むことなく、淘汰されます。

なぜなら、そのまま残しておけば病気の蔓延や餌代の無駄につながるからです。

過去に試験・研究目的で豚を育成していた時がありましたが、淘汰の際は逆性石鹸を静脈注射して絶命させました。

別の職場では日常業務として農家から、「病気の原因を知りたい」と調子の悪い豚が持ち込まれることがありました。

この場合、前述したような薬殺はできません。理由は薬液が血流を介して原因となる細菌等の微生物を死滅させ、本当の原因がつかめなくなる可能性があるからです。

ではどうしていたか?

当時は無麻酔で脇の動脈を切断して放血死させました。脇である理由は原因究明のために心臓等の臓器を汚染させることなく採取する必要があるからです。

今では、と畜場のように事前の電気ショックで気絶される等、少しでも生命倫理に配慮した手法が確立されていることを願います。

「そんなむごたらしい場面なんか書くな」と言われるかもしれません。

私自身、多くの人にとっては知らなくてもいい、不都合な事実なのかもと思うこともありました。

それでも私はうやむやにしてはいけない事実であると思い、投稿しました。

畜産に関しては、近いうちに改めて掘り下げて書いてみます。

今回の結論ですが、私たちは究極の菜食主義者でない限り、動物たちの命を食べて生きています。

だから、自分の命を軽んじてはいけないのだと思うに至りました。

この記事があなたにとって、「食べる」ことについて、さらには「いただきます」を考えるきっかけになってもらえるとうれしいです。

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