見出し画像

デザイン調べ_6 : 「ロゴについて考察_2」ポール・ランド氏について/ジョン・デューイ氏著「経験としての芸術」

 当noteは様々なプロダクト/サイト/サービス etc の中で見えてくるデザイン仕事を調べ、「デザイン」って何なのか を考察しよう、という内容です。
 
 
 前回は1950年代のアメリカでCIブームを巻き起こしたデザイナー ポール・ランド氏ついてざっくりと調べました。

 今回から氏の思想に影響を与えているらしいジョン・デューイ氏著「経験としての芸術」を読み進めていく回が、これからしばらく続く予定、だったんですが、
 
 著者の思想について調べてみたら結構ネタが豊富過ぎたので、まずこの本と著者の思想のバックボーンをまとめます。
  
 1931年の冬と夏に、著者がハーバード大学で芸術哲学について10回の連続講義をしたのが本書の元だそうで、同書の晃洋書房出版版での訳者・栗田修氏曰く、ジョン・デューイ氏は「プラグマティズム(実用主義/道具主義/実際主義)」というアメリカ哲学に属する思想家・教育学者だそうです。
 
 
 16世紀西洋哲学での2つの大きな考え方に「大陸合理論」と「イギリス経験論」があったのですが、「プラグマティズム」は「イギリス経験論」の流れを汲む哲学だそうです。
 
 (ざっくりとした私個人の解釈ですが)合理論者は、「性善説/性悪説」であるとか「人の生を超えたイデア的な真理がある」とか「人は生まれながらに観念の形式を持っている」とか、生得的な原理や性質があるんじゃないかと言ってる人達で、
 
 それに対し、どんな概念や知識も、直接・間接を問わず感覚の使用によって得られる後天的な世界経験に由来するのだ、と主張しているのが経験論者達だそうです。タブラ・ラサ。
 
 
 「プラグマティズム」の創始者と言われる人物にチャールズ・サンダース・パース氏という科学者がいたそうですが、
 
 日常世界の背後に「本物の」世界がある というような形而上学的観念を心底疑っていたパース氏は自身の読者に、「ダイヤモンドは本当は柔らかいのだが、触れられるときだけ硬くなる」という主張のどこが間違っているのか考えてみるよう求めた、という面白い逸話があります。
 
 パース氏が読者に促したかった気づきは、ある概念の意味(例えば「ダイヤモンド」や「硬い」)は、その対象の性質と、その対象が私達の感覚器官にもたらす効果、という関係に基づくということです。
 
 
 (例え遠回し過ぎて逆に分かりづらい感は否めませんが)
 ・確かめようがないことについてどう考えようとそれ自体は無意味
 ・ダイヤモンドが常に硬かろうが/柔らかい状態があろうが、ダイヤモンドに触れた感触は同じ
 ・概念の意味は感覚的効果のみで、「真理」というのは、私達にとって最もよく作用する現実の説明に過ぎない
 
 これがパース氏の考えで、プラグマティズムの公理ともなっているようです。
 
 
 上記の「ある概念は対象と人の感覚の間の関係に基づく」という考え方の部分を調べながら、前回紹介した「ポール・ランド、デザインの授業」 に書かれていたあるワンシーンを思い出しました。
 
 それは、対談者が制作してきた「水」がテーマの平面構成に対し、ポール・ランド氏が批評したり提案してみたりするシーンだったのですが、
 
 対談者のデザインは「水面の光の揺らめき」や「波の形」に基づいて案を出していたのに対し、ポール・ランド氏は「水→濡れる」という発想から、じゃあ「濡れる」を思い出させるような水の状態って何だろう、水滴かな?
 
 というように発想を展開させており、水と人の直接的な、触覚を通した関係に着眼していたのが興味深いな、と。
 

 
 
 話をジョン・デューイ氏著「経験としての芸術」に戻します。

 

 「ポール・ランド、デザインの授業」 の中でポール・ランド氏が「最初の1行読んだら投げ出したくなる本」と紹介していた本書は、以下全14章で構成されてます。

01 生き物
02 生き物と「霊妙なもの」
03 一つの経験をするということ
04 表現活動
05 表現的事物(作品)
06 本体と形式
07 形式の自然史
08 エネルギーの組織化
09 全ての芸術に共通する本体
10 芸術の多様な本体
11 人間の貢献
12 哲学に対する挑戦
13 批評と知覚
14 芸術と文明の進歩

 章見出しの時点で既に投げ出したい気持ちを抑えつつ、次回「01 生き物」やっていきます。
 
 
 お読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?