MY STORY NO.5 【AI時代だからこそ..】
AI時代だからこそ、その相対軸でNeo(ネオ)なコトを作る。
Neo(ネオ)は、古代ギリシャ語からきたといわれる接頭語で「新しい」の意。
Neo(ネオ)には「復活」や「リニューアル」されたという意味もある。
つまり、そこに既に存在するモノやコトを肝要に捉えながらもリニューアルして新たなもの創るということ。
相対軸は、哲学や思想、感性などスピリチュアルな部分(第6感的な部分も含む)。
これはロボットでは当分のあいだ賄えない、人間にしか持ちえないもの。
だからこそ、とてもとても大切にしたいところ。
ここに人らしさや人間味が良くも悪くもつまっている。
ここがAIの進化スピードと異なる、長いながい年月をかけてゆっくり進化してきた人間の魅力なのかもしれない。
もちろん、Evidence based practiceとの絶妙なバランスは必須。
(Evidence、対象者の希望と行動、病態と環境、医療者の経験や専門性の視点)
この人間らしさ。
じぶんに置き換えて考えてみよう。
自分が自然の中に身を置き、多くの時間を過ごす理由。
それは...
自分らしく生きているかを確認するため。
日々の生活の豊かさに感謝するため。
自分の気持ちをリセットするため。
心楽しく生きるため。
自分にとっては、どれもその通りだ。
効率性だけを追求すると、人々の暮らしは無意味なものになる。
確かに都市の生活は快適で効率的だ。
スイッチひとつで部屋の中は暖かくも涼しくもなる。
ネット注文すればどこからか美味しい料理が運ばれてくる。
料理が冷めても心配はない。
電子レンジに入れて待つこと数秒、いつでも暖かい料理にありつける。
だが、その快適性は他人の感性に依るところが大きい。
誰かが人生の最大公約数を推し量り
「こうすれば万人ウケするだろう」と作り上げた快適性だ。
自然の中に身を置くとその快適性はどこにも転がっていない。
自分で調理しなければグルメどころか空腹さえ満たされないし、自分で寝床を確保しなければ安心して眠ることもままならない。
自分でテントを立てなければ雨風を凌ぐことは出来ないし、不快な害虫から身を守ることも出来ない。
それに寝袋とマットの組み合わせでは、いつもベットで得られる快眠には程遠い。
では何故、特定の人々はそんな不便な自然の中に出かけるのか?
もちろん美しい景色に出会いたい。
あるいは趣味を心ゆくまで楽しみたいのかもしれない。
だが根源的な意味に於いて
自然の不便な生活の中で、そこでしか得ることのできない自分らしさをカスタマイズすることに喜びを感じるためではないか?
確かに冷蔵庫も電子レンジもない所で調理するのは不便だ。
もちろんそれを食べる場所も時間も世界で唯一。
その時の気温も風も、光の具合も全てが異なる。
全く同じ景色なんて自然の中ではありえない。
そしてその不便さの中から学んだ僅かな「快適」を日々の暮らしにフィードバックする。
そうすると、これまでの何気ない日常生活にアクセントが加わり、日々の暮らしがより鮮明に輝きを増す。
その輝きを得るために、今日も日常の扉を開ける。
自然の中では人間はいかにちっぽけなものかがよくわかる。
自分のちっぽけさを常にメタ認知しておくと、周囲が光り輝いて見える。
周囲が光り輝いて見えると、モチベーションが高まり、社会で自分らしくふるまえる。
自分らしく生きることとイノベーションをかけあわせて、地域に新たな(NEOな)コトを創りだしたい。
この部分は自分のOriginality。
CONTENTSの部分になる。
子ども×自然×科学×芸術×野遊び
息の長いCONTENTSを作る。
もちろん、作業のレンズを通して..
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