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物語「先の一打(せんのひとうち)」

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親との衝突と転校。古流の一子相伝と会社生活。限られた時間の中で、大事な人と生きることを選ぶ。 四郎と奈々瀬と高橋の、 今回は「治癒と挑戦の物語」。
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【物語・先の一打(せんのひとうち) 72】-完結

【物語・先の一打(せんのひとうち) 72】-完結

(ご無沙汰しています。みなさん、お元気ですか。僕らは元気です。
フリーWIFI環境から、粗い原稿ですが、いちどきに載せておきます。一度に読む量でなくて、ごめんなさい。情景描写と「時・所」の味わいのための描写がはんぱで、ごめんなさい。
年内はたぶん、これがつながりおさめでしょう。
みなさん、どうか、よいお年を。僕らも元気でいるようにします。)


高橋が、物件第二号の借り受け手続を進めていた。社会

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今、家出中。あと10分で帰る、心配しないで。【物語・先の一打(せんのひとうち)】1

今、家出中。あと10分で帰る、心配しないで。【物語・先の一打(せんのひとうち)】1

顔をグーで殴られた。母親に。

歯で口の内側を切った。もう唇の端と頬が腫れている。
十六歳の女子にとって、それがどういうことかというと。
明日は学校を休むと決まった、ということだ。

衝動的に家を出て、ファストフード店にかけこんだ。斜め向かいの電器店の店頭、五四型の液晶大画面には、CMが映っている。

四人家族が明るく笑っているCM……

「夢は、明るい家を作ることです」
初めて高橋さんに会ったと

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メシ係、返上。か~ら~の~。【物語・先の一打(せんのひとうち)】2

メシ係、返上。か~ら~の~。【物語・先の一打(せんのひとうち)】2

寒い。

一足ごとに、自分がとめどなく怒りを沸きたたせることに、奈々瀬は震えた。
母親にグーで殴られた唇と頬は、寒さのなかでいっそうじんじんする。

狂暴すぎる自分が怖い。怒りに任せて、何かをめちゃくちゃにしてしまいそうな息苦しさ。果てる底のない憎しみ。だから、四郎が怯えておさえつけている衝動が、奈々瀬には他人事でなくよくわかるのだ。

「かなしい」とか「やるせない」とかいう乙女な感情って、役に立

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極めてキケンな生物 = 行くあてのない女子高生。【物語・先の一打(せんのひとうち)】3

極めてキケンな生物 = 行くあてのない女子高生。【物語・先の一打(せんのひとうち)】3

母親からのがれて、家からは出たものの。

タクシー……は、この住宅街には呼ばなければ来ない。
三十分はかかる。

どうすればいい?

奈々瀬はとにかく、大通りへ出た。松本駅方面へ行く車を見わける。怖くてすくむぐらい体を乗り出して止める。まちがったら、はねられる。

「何!」かみつきそうな、むしろ恐怖でひきつった顔。何かの会社の営業車。
「助けてください! 松本駅まで乗せてください! おばあちゃんが

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サヨナラオウチ。
【物語・先の一打(せんのひとうち)】4

サヨナラオウチ。 【物語・先の一打(せんのひとうち)】4

高橋が「あたりをつけて、誰かに松本駅まで送らせる」と言ったのを信じて……

奈々瀬は、もう一度さっきのファストフード店に入った。
口が切れていようが、食べたくなかろうが、水分摂取と腹ごしらえはしておくべきかも。という考えがよぎり、単品のハンバーガーと氷なしの水を頼んだ。
けれども。

品物がトレイに並んで目の前に出てきたら、やはり無理だとわかった。
のどを、とおらない……

小銭を出すとき、トレイ

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また自分を追いつめちゃってさ 【物語・先の一打(せんのひとうち)】5

また自分を追いつめちゃってさ 【物語・先の一打(せんのひとうち)】5

《前回までのあらすじ》 額田(ぬかた)奈々瀬は、松本に住む女子高生。両親のケンカを止めそこね、母親に殴られ口を切った。感情の歯止めがきかない母親の暴力から逃げ、荷物を持って家を出る。初恋相手の四郎……の親友・高橋照美のすすめで、名古屋行きの特急に乗ったところ。

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奈々瀬と話して電話を切った高橋は、四郎をまじまじと見た。「呼んじゃったどうしよう。21時すぎに名古屋に来てしまう」
そし

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僕らの平日夜10時。
【物語・先の一打(せんのひとうち)】6

僕らの平日夜10時。 【物語・先の一打(せんのひとうち)】6

改札を出る前から、背の高い四郎と、グレーの背広の高橋の立ち姿が見えていた。奈々瀬は小さく手をふった。

「お疲れ」高橋がそう言ったとたん、奈々瀬はどうっと涙をあふれさせた。

(あれ……だめだ……なんでこうなの……もう泣き止もうって思ったのに……)

「ショックなことがあったときは、目の水は出したもん勝ちだ」高橋はいつものしゅっとしたハンカチのかわりに、ふわふわのガーゼハンカチを渡した。「車で話そ

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口を切った人用、さましたおかゆ。バナナと豆乳のスムージー。【物語・先の一打(せんのひとうち)】7

口を切った人用、さましたおかゆ。バナナと豆乳のスムージー。【物語・先の一打(せんのひとうち)】7

車のキーと家の鍵と腕時計を、高橋は靴棚の上のトレイにかちゃりと載せた。

部屋は、こざっぱりしていた。
高橋と四郎が、懸命に片づけたらしかった。

そのそうじの仕方をみたとたん、いっぱいいっぱいなのは高橋だ、と奈々瀬は合点がいった。

一緒の車に乗っていても身体情報読みの奈々瀬に気づかせないほど。
隠した、いっぱいいっぱい。
ものすごく無理していることを無理と思いもよらずに、自己犠牲の上にさらに持

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部屋だったのに、「家」に変わって【物語・先の一打(せんのひとうち)】8

部屋だったのに、「家」に変わって【物語・先の一打(せんのひとうち)】8

ホテルの部屋を予約しようか、どうしようか。高橋は着替えながら思った。
奈々瀬と四郎を自分の部屋に置いて、自分が会社に泊まるか、駅前のホテルに退散するか。

(あのホテルの部屋、けっこう居心地いいんだよな)

一方で、明日の朝、四郎と飲んでみようと思っていたとっておきのコーヒーがあって。それは、奈々ちゃんが口を切っている以上は、先送り……

「高橋」四郎が顔をのぞかせた。「お前えらいざわざわしとるけ

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毒から身を守るいくつかの四郎的な解釈【物語・先の一打(せんのひとうち)】9

毒から身を守るいくつかの四郎的な解釈【物語・先の一打(せんのひとうち)】9

高橋は四郎をまっすぐ見た。唇を噛んで、それからおもむろに口を開いた。「奈々ちゃんと四郎は、親御さんからの暴力や暴言との向きあいだ。僕は……同じく大人からされたことだけれど、セックスの問題がからんでる」

四郎は奈々瀬の手をそっと握ったまま、もう片方の手をひらひらとふった。「お前から聞いた限りは、祐華(ゆか)おばさんから受けた性的虐待はひとまずおいといて、お父さんとお母さんの激しい口喧嘩のほうは、俺

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お・や・す・み・前の。【物語・先の一打(せんのひとうち)】10

お・や・す・み・前の。【物語・先の一打(せんのひとうち)】10

《前回までのあらすじ》 額田(ぬかた)奈々瀬は、松本に住む女子高生。両親のケンカを止めそこね、感情暴発した母親に暴力をふるわれた。家から緊急避難して、初恋相手の四郎……の親友・高橋照美の名古屋の家に泊めてもらい、布団を少し離して横になり、四郎と手をつないだところ。

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行かせてもらえなかった修学旅行より「いいもの」を手に入れた気分で、奈々瀬の手を握って「おやすみ」と天井を向いて言って

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朝。【物語・先の一打(せんのひとうち)】11

朝。【物語・先の一打(せんのひとうち)】11

「起きてる?」

こっそりとした声に、四郎は無言で起き上がり、部屋を出た。食卓に高橋が座っていて、四郎は手洗いから戻ってテーブルに着いた。

鳥のさえずりがまぶしすぎる。
空が。雲が。その広がりが。

世界が、自分を遠く離れてうつくしい。

つかれた……。

「寝れとらん」

「そうだったか」高橋はエスプレッソのカップを四郎の前において、とぽとぽと淹れたてのコーヒーを注いだ。「僕、布団引いたままに

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長女がゆっくりする権利【物語・先の一打(せんのひとうち)】12

長女がゆっくりする権利【物語・先の一打(せんのひとうち)】12

奈々瀬は二人からの「おはよう……」を受け止めて、食卓の横をとおりすぎ、トイレに入った。

こういうきれいさに仕上がるんだ……と、ぼんやり見渡す。

ほこりがたまる場所が極力すくなくなるように、ひと拭きでほこりが取り除けるようにフラットに、内装に手を入れてある。
ウォシュレットも賃貸の設備ではなく、変えてある。たぶん、大家さんと管理会社に、すり合わせをしたうえで……

変えてよかったんだ。変えればよ

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仕事のできるアイツは言った、「暫定一報を入れろ」。【物語・先の一打(せんのひとうち)】13

仕事のできるアイツは言った、「暫定一報を入れろ」。【物語・先の一打(せんのひとうち)】13

ぬるいカフェオレを飲む奈々瀬に、高橋が言った。「学校への連絡は、どうする」

奈々瀬はさっきの筆談の横に書いた。

困ってる
けがの写真はとった
写真送って説明しようかと思ってたけどどうしよう

高橋は、(写真撮ったんだ)という顔で四郎を見た。四郎は(ハードでした)という表情で高橋を見返した。何がハードだったかというと、けがの状態そのものではなくって、十六歳女子のみずみずしい肢体を前にしての自制心

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