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これが……これが、「寝物語」? 【物語・先の一打(せんのひとうち)】34

グシャグシャに泣きながら、四郎は聞いていた。「なんで俺なの、俺のどこがええの」

それは非難するようで詰問するようで、言っている声も聴いている耳も、我ながらうんざりする声の調子、ことばの中身だった。「こんなことをしつこく聞くような人間は、きっと嫌われるだろうな」という確信めいたものがあった。

「自分で自分を信じられない、自分で自分を無価値だと思っている」と表現すればいいものを、よりによってはじめて恋をした相手に、なにをかぶせているのだ。濡れ衣もいいところ、困らせるにもほどがある。

そしてもうひとつこの非難詰問めいた問いかけが始末に悪いことには、いくら相手が「どこがいい、どこが好き」と答えても、気持ちは一向に満たされもせず埋まりもしないという事実を見せないようにひん曲げるのだ。それはひとえに、「自分は自分をどう思っているのか」という表現に気づかず向き合わず、つまり自分に他人に、目くらましをする、嘘をつくため。

「ほーらやっぱり自分は嫌われていた!」という負の価値観を納得して強化する、まるで爪かみとか髪の毛抜きのような自傷行為にすぎないので、きちんと向き合うまでは延々とやらかすのだ。



それに対して困ったふうでもなく、奈々瀬はささやいた。

「どこがいいかはうまく言えない。よくする決意……が、あるから? それがゼロになったら教えてほしいの、私も考える。……もう、しゃべらずに、黙っていい?」

「うん……」

四郎は急に涙が引っ込む気分を味わった。

怪我人に無理を言うものではない。けがの養生は、ひたすらそっとしておくものだ。話しかけもせず食べさせもせず、ひたすら治りが進むまで、体の治癒力を妨げず触れずにおくものだ。食べさせもしないというのは、病もケガも、消化という大仕事が代謝する力を奪うため。

けがの手当てに慣れ親しみ、さんざんけがをしてきた人間だからこそわかる。

まるで植物を養生しておくように。野生動物が丸くなりじっとしている通りに。施工中は養生シートをかぶせるように。ひたすら、そっとしておくものだ。

いくらそうっとそうっとだって、抱きしめている時点で乱暴がすぎる。

「ごめん、治っとらんのに困らした、ゆるいて」四郎は自分の規律に自分が背いた慌てようをした。
即座に涙が引っ込んだようすを、少し離れた気分で茫然と感じていた。

何をばかなことをしているのだ。早く向こうの布団に入れて養生させねば。

奈々瀬は、しゃべらずに黙っていていいか聞いた通り、ひとことも発せず、ただ手のひらで四郎の涙をぬぐった。

「傷なおらんで、もう一人でお休みしやあ」四郎は言ってみた。体も気持ちも混乱の極みにいる。

人と触れたくないぐらい殴られたり蹴られたりした皮膚感覚は、ひとりになりたい気分でいっぱい。
いいにおいにくらくらしている嗅覚は、もっとこのにおいのそばにいたい感じ。
身体は痛いほどつっぱっているし、自分自身の心もちは、涙が引っ込んでもなおぐちゃぐちゃ。

そしてさらに、いつもいつも、本で読んだ言葉を実世界の実物と照らし合わせようとしてしまう疑似本能のようなうごきは、

(これか……これ、「寝物語」 ? いやちがう、あれはきぬぎぬに似たようなもんで、およそ男女の仲が成立してからでないと使われとらん……しかも用法はことの後なのか先なのか / どの時点で・いやどうなれば、他人やないんや? / もう他人やないぐらいひっつきすぎとる / どうするんやーー!)

まるでレールをはずれた高速演算が止められないように、わーっとあさっての方向へと飛び交い錯綜する。このへんは単なる日本語オタクでしかない。

奈々瀬が四郎の手の甲を、つんつん……とつついた。

ここへ、意識を戻して……という、お願いのつんつん。四郎は息をつきながら、涙をぬぐってくれた奈々瀬を見つめた。涙でぼやけた夜目で見ていられようはずもなく、四郎はこてんと額を奈々瀬にあずけて目を閉じた。



「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!