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人見知りのための文章講座

僕のnoteの更新頻度が減っていた時期、
僕は困った問題に直面しつつあった。


僕が今、入院中の親族に代わって面倒を見ている姉弟がいる。その二人に関する課題だ。

二人が…
自分のことに関して、人にわかる文を書けないのだ。
自分の状況を、人にわかるように話せないのだ。

中2と小5。
もう少し症状が柔らかければ、「本人の好きにさせて、様子を見ましょう」という年頃。

そして、症状は柔らかくはない。

具体的にはこうだ。


自発的に自分の気持ちを言葉にする、というスキルが、ない。「ムカつく」さえ言わない。黙る。

「自分が今、どういう状況で何をしようとしているか」という説明を、他人にしようという発想がない。自分の頭の中身を、他人に手渡す必要があることに、いろんな場面で「気づいていない」。

「困ったことを大人に相談する」という意思がない。大人に何を相談していいのかを思いつかない。

「こういうことを相談してみて」とか「今どんなふうか聞きたいんだけど」とか水を向けると…

「何をどう言っていいのかわからない」(しっくりくるキーワードに頭の中でたどり着かない、「当たらずといえど遠からず」の語彙をそもそも自分の脳内辞書に持っていない)から、

緘黙する。

僕はおののいた。
親友は親友で、ひどい小学生時代を送っていたが、このケースはこのケースで、「一見、見過ごされる」タイプの課題だ。

過労死やパワハラの被害者予備軍はこんな感じだ。ゆでガエルのように問題を先送りして、一人で黙ってしまい、倒れるか辞職するかの結末へ流されていく。自分の課題について他人に味方になってもらうような巻き込み方をする、という技能を持たないためだ。


僕は「自分の仕事をどう立て直すか」、という問題に頭を悩ませていたが、まさか思春期の教育問題に先立って、「国語の習得」という問題に悩まされるとは思ってはいなかったのだ。ほんとに!!

入ってみて初めて見えてくる現場の課題。みたいな。(笑)

じゃあ、この姉弟の日常生活と日常会話は、どう回っていたかというと…

自分の好きな本や漫画のセリフを完コピして面白がって、それで会話をつないでいる。

手伝いは自発的ではなく、食事準備の限界時間ギリギリまで自分の好きなコンテンツに浸っていて、呼ばれて手伝いに応じる。

作業内容の説明は理解して、短い返事をする。
確認のため復唱してもらうと、これはできない。つまりアウトプットを徹底して省略して、返事だけ良い。この年にして指示まち族だ!
家事に対する内発的動機は子供にはないから、当然そうなる…

お姉ちゃんも弟くんも、 無類の読書好きだ。弟くんは主にマンガ(笑)

そもそもお姉ちゃんが、暇さえあれば 『文豪ストレイドッグス』とか綾辻行人とか朝井リョウとかエドガー・アラン・ポーとか、延々と読んでいる中2なのだ。部活は文化部で、しかも友達つながりで入っただけで、熱を入れてるわけではない。

「将来、布団と結婚したい」というほどのインドア派だ。(!)

弟くんは友達とたくさん遊ぶけれど、遊びに行った先で週の半分は「友達とゲーム」という遊び方らしい。キャッチボールの肩がない、サッカーボールを蹴る習慣もない、バスケットゴールにシュートを決めることはかろうじてできる。虫取りはする。
虫や生き物と和んでいる。

弟くんは「半分アウトドア」なため、「自分が苦手なことを質問で伸ばそう」という意思がない上に、「質問のための語彙も、持っていない」(!)

二人ともに「友達や家族とは話せるけど、知らない人とは話せない」。

〜日本語が、原始的なキーワードを断片的に手渡す、仲間内のためのギャング言語・符丁言語である「膠語」で、厳密な構文を自然発生させないため、こうなる。

結果として、「断片的に仲間内会話では済ませられない間柄の人とは、必要最低限の話しかしないし、話しても楽しくない」。

練習が楽しくないからだ!!

これを大多数の人が

「人見知り」「口下手」「引っ込み思案」「コミュ障」という言葉で片付け、真の問題点に向き合わなくてもいいように流している。

…あぁー、仕組みの分解しちゃった…

こういうわけで、「お父さんが白血病になりました」には、時々「人見知りさんのための、文章術」が、混じります。

僕だって文章のプロではない。
だが、直面している課題が、僕に名作を書かせてくれるだろう。

緘黙か…

四郎といいお姉ちゃん&弟くんたちといい、

ほんとに全く!
笑う以外に、何ができる……(泣)

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!