PGW誕生にまつわるエトセトラ ①原体験

e-sportsにも格ゲーシーンにも、ただの一度も名前が上がっていなかった僕が、PGW構想の下、名手をプロゲーマーとして正社員雇用するPGWを発表&結成したのか?
今日は、このPGW構想につながる『原体験』についてnoteに書き残します。

ゲームも仕事も中途半端な僕

今から遡ること20年ほど前までは、僕も少しは格ゲーに触れていました。触れていたと言ってもエンジョイ勢なので腕前も知識も知れています。この頃はプロゲーマーなんて居なかったし、仮に出来たとしても社会的なイメージは“当時のパチプロ”に近い、決して明るいイメージにはならないと考えていました。

僕自身、
仕事なんてしないでゲームだけやってたい
→ゲームが仕事
→プロゲーマーってあったらいいなw
その程度の感覚で考えたことがありました。
(そんなヤツがプロになれるわけもないですね☺️)

で、ゲーム好きの社会不適合者でも、26歳の時に社会に出直したわけです。
惚れた女性と結婚するに値する社会人としてのベースをつくるために。
その直後に知り合った『アイ君』が今の未来につながるキーパーソンです。

アイ君との出会いと別れ

このアイ君とはIT関連のプロジェクトで出会い、色々苦労を共にしました。なんとなく会話や理解のペースが合い、気がつくと一緒に過ごす事が増えていきました。
アイ君は、プログラマーでした。
アイ君は、ニュータイプでした。FPSでは特に。
アイ君は、信じがたいほどの社会不適合者で、仕事では困ったヤツでした。
アイ君は、とても純粋な人間でした。
アイ君のことを、僕は弟のように感じていました。

そんなアイ君と”いつか会社作って何かやれたらいいね〜。会社名はThinkSystemとかどうかな?“なんて将来の話をしたりもしました。
そうそう、結婚する2002年まで1年ほどルームメイトの時期もありました。
(僕の結婚の後に、アイ君も田舎に帰ったと記憶しています)

結婚を機に、僕は技術者から営業に職を移し、仕事を覚えていく事に夢中になり、ゲームからは遠ざかりました。人材派遣会社の営業マンとして仕事を覚え、スタッフと接していくうちに『コイツらをちゃんと雇用して安心して働ける会社を作る必要がある』って考え始めました。

そして、ある出来事をきっかけに会社を創りました。それが僕の前身の会社『グローバルビジネスソリューション株式会社 ※以降、GBS』です。

再会と失踪…後悔とPGW構想の原点へ

そんな、時は2006年。アイ君から急遽連絡があり再会しました。高田馬場駅だったと記憶しています。詳細は割愛しますが、久しぶりに再会したアイ君は心身ともにボロボロでした。痛々しい傷を残した身体で。僕は、そんな状態のアイ君をそのまま別れて帰す気になれず、妻に相談をして、結婚後の新居に一緒に住んでもらうことにしました。

GBSは出来立てホヤホヤ、社員は数名、僕の給与なんか出せない状態の頃でした。

経済的に余裕がない中だったので、僕はアイ君にGBSで自社開発をしてもらうことにしました。不動産関連のWebシステムです。『こういうヤツがゲームで食っていけたらいいのに…』って感じながらも。でもGBSには、そんな余力もなく、自社開発のプログラマーをやってもらいました。

でもやっぱ、天才的な側面を持つものの、ちゃんと仕事しないんです。
本人は義理や感謝の意があるけど、それでも出来ない。そういう障害もあるのです。

僕は食わせることに必死、アイ君は懺悔の気持ちを募らせていき、アイ君は情緒不安定な日が増えていきました。僕もどうしたらいいか悩み、アイ君も辛そうでした。そんな日々が続いたある日、突然アイ君は僕の目の前から姿を消し音信不通になりました。

『アイ君にゲームだけ練習して大会に行けばいい。才能あるんだから…そうしてやれなかった。才能あるを分かっていたのに活かせなかった。。。』

この後悔の念が、後のPGWビジョンに続くのです。


あとがき

最後に書いた「才能があるのを分かっていながら活かせなかった」という後悔の想い、自責の念に関して、PGWを始めるまで人に話したことはありませんでした。なぜならば“やる”と決めるまでは、こんな話をしても後悔話に過ぎず、浸って自分を許したいに過ぎないと考えているからです。今回のnoteに書いたことはPGW誕生秘話シリーズの一節に過ぎませんが、後悔を抱える誰かにとって、後悔を力に変えるヒントになれば幸いです。

相変わらず、誤字脱字が多い可能性があるので、後日編集するかも😱


次回予告

次回はPGW計画の中身と始動するきっかけについて書きます。事実なんてドラマチックでもなんでもないですが、大切なきっかけなので、書き残します。


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