PGW誕生にまつわるエトセトラ ②きっかけ

前回は、なぜ僕が正社員プロゲーマーという形式でPGW構想の最初の動きを始めたのかを書き連ねました。アイ君との出会いと別れて、再会から失踪までの軌跡が僕に『ゲームプレイにおける才能を正社員で活かすことができれば…』という想いを生み、PGW構想の初動に結びついたことを知っていただければ幸いです。

今回は、12年もの時を経てPGW構想として整理されて実行に移した、そのきっかけを記事にまとめます。


何気なく溢しただけだったんだ

2018年06月のある夜、ITの仕事で知り合った人と秋葉原で飲んでいた。ローズ&クラウンていう、ちょいちょい利用しているお店。
別にプロチームの話をしていたわけではない。ただ彼の仕事の相談や今後の展開について聞いて飲むだけの何気ない酒の席だった。

僕は彼の器用そうで不器用で、イケイケっぽいけど慎重な側面もあるバランスが心地よく、彼が関わる事業で何か手伝いたいとさえ感じていた。
そんな彼だからか、お酒が回ったのか、僕はポロッとこぼしたんです。

『ゲームで才能がある子をゲームで食っていける環境を作りたいんだよね』

その彼は
「工藤社長、やっちゃいましょうよ。いまe-sportsって盛り上がってきていて、プロゲーマーもかなりいるんですよ。自分も応援しますっ」
そう言い放ちました。これが後にスポンサーになるITSOです。


e-sportsの知識も人脈も何もない僕

その時の僕は「e-sports?ナニソレ?」という状態です。でも何気なく言った言葉に前向きに反応している人をみて火がついたんです。だってさ、マネタイズは考えるとして、やる意思を固めないと気合が入らない。知恵も出ない。

この時点でグローバルセンスは設立から5カ月の赤ちゃん会社。
でも経営者としての年数は13歳。リーマンショック以降も黒字経営で乗り越えたメンバーもいる。なんとかできそう。妙な自信だけはありました。
ただ一つの不安を除けば

『僕、この20年のゲーマー界隈、全く分からないなー』

そう、僕が最後に知っていた有名プレイヤーはVF2の名手たちの時代なのです


調べるほど儲からなそうなe-sports

彼と別れて自宅(オフィス)に帰ってからも色々調べましたが、正直言ってよくわかりませんでした。日本のe-sportsのマネタイズが。正直な印象は「全然ビジネスにならないなー。どうやって選手を食わせていけばいいんだコレ?」です。
・スポンサーは微妙な金額(簡単にお願いできる額ではないけど十分でもない)
・芸能的な宣伝効果や影響力もそれほどでもない
・投資的ビジネスモデルが成立しているわけでもない
海外のe-sports、特にOverWatch関連を調べるにつけ
「今はまだ日本だと単純収益モデルじゃアカン」「急にアメリカンモデルになったら参入すらできんわ」という結論しか導き出されてこない。

そんなわけで、一旦、自分の想い、僕が捉えた今のプロゲーミング環境、見たい未来、整理するところから始めたのです。


あとがき

記事を読んでくださり、ありがとうございます。ちゃんと想いを文章に乗せようとすると簡単な事でも長い文章になってしまいます。しかも日記のように書いているので、なおさら。。。書きながら上手くなれるように励みます。
そうそう、ちなみに、この時点で既に僕の頭に戻る道はありませんでした。いま考えると大バカですね😱


次回予告

次回は『自分の想い』『僕が捉えた今のプロゲーミング環境』『見たい未来』についてと、PGW構想について記事をまとめます。ちょっと長くなるかも。

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