見出し画像

「弾き語り / 声 / Elliott Smith」【週記】

人前で弾き語りするようになって2年。

それまではもっぱら宅録にいそしむ日々で、サンプラーやエレキギター、GarageBand内にある音源などを使い、気が済むまで好き勝手に創作に没頭していた。
ほんで気が済んだ。

ストラヴィンスキーさんっていう音楽家が「制約が大きければ大きいほど、精神を縛る足かせから自分を自由にすることができる」という言葉を残したらしいが、確かにアコースティックギターだけで曲を作ってる時、(電気を1ワットたりとも使わずに創作意欲をここまで満たしてくれるものがあるとは・・・)としみじみ思う事が最近よくあるので彼の言っている事はちょっと分かるかもしれない。

そんなこんなで弾き語りにハマっていくが、「声」っちゅーもんはとっても奥深すぎる楽器で、あたしにゃてんで使いこなせやしやせんよ、って思う。

なので「表現」としての歌には最初から興味が無かった私が最初に目指したのが、ボーカロイドのようにニュアンスを削ぎ落とせるだけ落とし、曲のデザインというか、音符を伝える事だけに徹する、というやり方だった。

それがいっちゃん難しいとよ。
と実感するのに、なんぼアホな私でもさほど時間はかからなかった。むしろそんなん出来たらすごくね?ってなった。

そんな具合で「声」とかいう超絶面倒くさい楽器とマイペースに向き合う日々が始まって1年半くらい経った頃、Elliott Smithというシンガーソングライターの曲を好んで聴くようになった。

後期になるとバンド編成になったりピアノ弾いたりしてアレンジの幅も広がるのだが、個人的には歌とアコギだけのシンプルな編成の曲とか、どっかの小ぢんまりしたバーで弾き語っているのをホームビデオで撮ったような、ガビガビな画質のライブ映像をYouTubeで観るのが好きだった。

ずーっと一定のテンションで、こう「バチコン!」と来るものは無いかも知らんけど、ずーっと聴いていられるんです。ほんで知らんうちにいつのまにかじんわりとメロディが身体に染み渡ってる、みたいな感覚なんです。

この感覚を自分の演奏でも再現出来ないかと練習するうち、「声が気持ちよく響いてくれるツボ」みたいなものがどっかにあって、それを不意にピコっ!と押してしまう瞬間がちょっとづつ現れるようになったけども、「そのツボっていうのの場所がぁ、常に流動的で定まってないのでぇ、任意のタイミングで再現するぅ、ってのはやっぱ結構難しっすね〜すいません」と脳から言われて「は?だっる」という感想を抱いているのが現状である。

「は?だっる」とは思うものの、あの「声が気持ちよく響いてくれるツボ」みたいなものを発見できただけでも、だいぶ声を使うのが楽しくなってきた。

なので「表現としての歌に興味がない人の、声との向き合い方」について、今のところの個人的な最適解は「自分に合ったお手本を見つけて真似してみる」っていう感じです。
っていう感じの雰囲気を醸しているようなニュアンスを匂わせるそぶりを示唆してるっぽいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?