for "reunions"

※以前のブログからの転載。DVD発売記念ということで。

「この国にこんなに居ましたか、俺たちのことを好きな奴が」

2021/7/14@BIGCAT
さよならポエジー 3rd ALBUM「THREE」Release 1st One-man GIGS "reunions"

2021/4/30からの延期を経て、7/14、平日の夜に終演した。よく素晴らしいライブへ送られる賛辞として「あっという間に終わった」と聞くが僕はそうではなかった。あまりに濃く長く続いた時間だった。いくつかのセクションを終えた曲とMCの間の沈黙に「今日は長いな」と感じた。まあワンマン公演なので長くて然るべきなのだが。しかし決して冗長ではなく。アンコールを含め全20曲、時間にして2時間弱、一つひとつを噛み締めていたら、そりゃあ長くも感じる。時折一瞬だけ脳内で過去へ旅をして、すぐにステージに目を戻すなんてことを繰り返していたら、そりゃあ濃ゆくも感じる。初ワンマンギグ、ライブレポと呼ぶにはそれこそ冗長だが、下記に連ねていく。ファン目線が故にご本人へは失礼な描写もあろうから、さよならポエジーの御三方にこれを読まれないことを願う。

昼間は雨模様だった空も、霹靂は鳴りを潜め、雨は上がり蒸し暑さが揺蕩う。会場のBIGCATが内包された施設の前には大して人が溜まっておらず、その光景がさよならポエジーのライブらしくて笑ってしまった。流石に開場直前には階段に並びはじめたオーディエンス。早めの整理番号だったこともあって、いそいそと中へ入り上手最前一番端っこを陣取る。ここからだとどんなライブが観えるんだろうかとわくわくしている。ステージには初お目見えのバックドロップが掲げられていた。基本的にこういうのは黒バックが多いのだが、彼らのそれはネイビーの布にロゴが冠されている珍しいものだった。物販で入場する客を撮影していたカメラ、客席に向けられた集音マイク、ドラム横に立てられたカメラ、開演前に柵の前にやってきた何人かのカメラマン。何かを予期しない方が難しい仕掛けにもまたわくわくした。きっとこれが何かの映像になるんだろう。

後にナカシーのセレクトと知る開場BGMにいちいち反応したり、友人と話したり、スマホでゲームをしたり、しかしなかなかどうして緊張が収まらない。雨の影響で電車が遅延しており開演は定刻を過ぎるというアナウンス。はやる気持ちを抑えながら2度ほどトイレへ行った。暗いステージ袖に懐中電灯の灯りが見えたと思ったその時、無音の中メンバーが登場。ここ最近のライブ同様SEはなし、特別な仕掛けもなく、いつものようにふらっと出てきた。

各々楽器を鳴らし始めるとゆっくりと暗くなるフロア。それに合わせて徐々に楽器の音が大きくなる。
「さよならポエジー、よろしくお願いします。」
いつものようにオサキアユが挨拶をする。拍手の中、遂に演奏が始まった。
ライブは新譜同様"pupa"から始まった。特別な夜では違いないのだが、暮らしの中からフェードインしていくようにいきなりではなく徐々に熱を帯びていく。過剰さも盛大さもそこには無い。「まだ尽きない熱りを追って 未開の今日に辿り着いた」という歌詞を初めて受け止めた時、嬉しかったなあとほんの半年前のことを思い出していた。そして"ランドマークス"へ繋がっていくアルバムと同じ流れ。正直ここまではいつもの対バンでのライブを観ている感覚と変わらなかった。いつものように身体が揺れて声には出さずに口ずさんでしまう。しかし、3曲目の"Calmapart"で「おっ」と少し身構えてしまった。これはライブ初披露。個人的にこのアルバムで一番選んで聴いていることもあって、予想していたとはいえライブで聴けてうれしかった。演奏が難しいことを理由にこの日まで演奏してなかったらしいが、特に難なく演奏されていたように思う。滑らかなアルペジオが気持ちよく染み渡る。ここまで新譜の曲順通りに進んできた。レコ発らしくもあるが、こんなに早く立て続けにやっちゃうんだなと意外にも感じていた。
 
3曲が終わり、沈黙を破ったのが冒頭に書いたオサキアユの言葉。
「この国にこんなに居ましたか、俺たちのことを好きな奴が」
フロアをちらっと見て嬉しそうに放った後、間髪入れずにギターを鳴らした。まるで気恥ずかしさを誤魔化さないとやってられないというように。始まったのは"邦学のススメ" さっきまでの新譜からと打って変わって1stアルバムの曲。そのまま"觜崎橋東詰に月"へなだれ込むのは普段のライブでもよく観る流れ。お馴染みの2曲だからか気持ちリラックスしているようにも取れた。こちらも徐々に解れていく。今日も風が吹いて、ナカシーは吠えている。

「長い戦いですよ、どうですか?」とオサキアユが問いかけるもなんの反応もないフロアに「……しけてんなぁ今日も」と笑う。ナカシーの「いつもこんなんやん」というツッコミに全力で頷いてしまう。

「おかしいな、人の数でなんとかなると思ったけど。今日は長いので足の裏が痛くなったら座ってください。皆さん自分で選んだんですよね、こんな平日の夜にここに来ようって。もうそんな奴のことは知らない!笑 俺たちは演奏するだけだ! 最後までよろしくお願いします」

いつもより楽しそうに嬉しそうに話すなぁと感じた。きっと目の前に居るのが自分たちのお客さんだと分かりきってる故の安心感もあるのだろう。リラックスしてみえたのは間違いじゃなかったようだ。

"オールドシンク"から演奏は再開、そして"金輪際"と彼らの中ではアッパーな曲が続く。拳があがるフロアを横目に一層僕の身体も動いてしまう。"金輪際"ではなぜか一瞬だけ前任のベーシストのマッサーのあの騒がしいステージングを思い出していた。

呼吸を整えるようなどっしりとしたナカシーのビートから始まった"応答するまで"。リリース当時は半音下げで演奏されていたこの曲もいつからか原キーになった。半音下げバージョンも好きだったけどな。この辺りからオサキアユの声は既に枯れ始め、喉を庇うようにサビの最後のメロディを変えていた。カポを外しアームで音を揺らしながら"Nuts"へ。この曲も気付けば長いこと演奏されてきたな、昔は歌詞を変えて歌っていたんだよな、今日も原曲のままだな、なんて感慨に耽りながら聴いていた。

チューニングする音だけが響き渡る中、気づいたように話し始める。
「俺が喋らないと気まずいっすよね……」
当たり前である。ここで会場のBIGCATの話題へ。

「BIGCATでは友達のバンドとやる機会が多いんですけど……もっと盛り上がってましたよ」
「だめだなあ俺たち、だっはっはっは」
と自虐的な方向へ。

遂には
「ワンマンって何話したらええの?」
「この空気おもろーずっと話しときたいわー」
とまで言ってのけてしまうほど、砕けた穏やかな空気にこっちも肩の力が抜けて笑ってしまう。

「8年くらいやってるんですけどあんまり曲がなくて笑 ほぼ全部やるんで今日はワンマンライブっていうよりベストアルバムですね」
その言葉に笑いと拍手で応える僕ら。曲が少ないなんて僕らもよくわかっているから大丈夫。

いつぶりか思い出せないほどかなり久しぶりに聴いた"万年不眠のテーマ"。この歌詞は当時衝撃だったな。素早いブラッシングがかっこいいこの曲、いつまで経ってもコピーできない。余韻もそこそこに引っ張り音が鳴り止み、くるぞと予感がした。威勢のいいギターの音が鳴った瞬間、何処からか抑えきれない悲鳴のような声がした。ファンからの人気とは裏腹に本人はあまりやりたがらない"SHIKEMOKU CITY"。この2曲の流れは「さよならポエジーがはじまる e.p.」というデモ盤の曲順そのもので懐かしかった。知ってる身としてはこういう隠し味のような要素ににやりとしてしまう。この曲の時にフロアを振り返ってみると、彼らのライブでは観たことない数の拳があがっていた。これには流石ににやにやを通り越して笑ってしまった。痛快とはこのことだ。ギターの弦が切れてしまっていたのもあの頃のようでまた懐かしかった。初ワンマンはこういう歴史が垣間見えるところも面白い。

この日はサブとして現在の愛機の前に使用していたGibsonのレスポールが控えていたがここで登場。僕の中では彼はレスポールの人だったから、その佇まいにもまた懐かしさを覚えていた。(当時はepiphoneの青いレスポールだったけど) すると彼の口から「懐かしいなあ」と。なんのその久しぶりに使うギターへの言葉だったのだが。少し驚いてしまった。

固唾を飲んで見守るフロアの空気に耐えられなくなったのか
「静かやなあ、審査員かよ」
と悪態を吐いた。

レスポールを客席に見せながら
「昔使ってたギター、こいつも弾いてほしかったんすかね」
と愛おしそうに少し眺めた後また鳴らす。その音で何の曲か分かってしまい、まるで示し合わせたかのようなタイミングに鳥肌が立った。このタイミングでギターを持ち替えるなんて、できすぎてる。ジャッと歯切れ良く鳴らした後、歌い始めたのは"二束三文"だった。極限まで音数を減らしたコード、当時の心境を赤裸々に吐露したような歌詞。いつかこの曲のことをもうそんなに好きじゃないとして「呪われたみたいに歌っている」と話していた。やはりその呪いはまだ続いているんだろうか。こんなにも愛されているのに。

そしてまた粋な並び。そのままあの轟音のイントロから始まる"拘束のすべて"、これも当時のシングルの並びだ。(この轟音のタイミングで筆者は両手を高く上げてガッツポーズをしている) 個人的な話だが、この曲があったから当時さよならポエジーを好きになったと言っても過言ではない。歌詞が痛いほど突き刺さって、その傷はたまに痛んだりする。そして筆者は速い曲が好き。ここの2Bメロで歌詞が飛んだようでゴニョゴニョと誤魔化していた。(よくそこで歌詞飛びますよね……) しかしこの曲を、またこの並びで聴けてうれしかった。

ここまで懐かしい曲が続いたところで、空気をガラッと一変させたのが"二月の中を / February"。リリースした当時、もしかしたらこのバンドは生き急いでいるのかもしれないと思ってしまった。あの時期はどこか危うくて、いきなりふっと消えてしまいそうな儚さといつ爆発するか分からない恐ろしさが静かに共存していた。だから観ているこちらにもひりついた空気が伝わってきて身構えてしまう。そんな時期だった。今でも時々この曲を聴くのは苦しくなる時もあるが、この日はただ只管にこの曲の世界に浸って静かに挙げないままの拳を握った。"そう"へ繋いだ時、畳みかけるなぁ!と思わず腕があがった。この辺りでやっといつものライブではない、ワンマンなんだと実感し始めた。長い、しかし必要な長さなんだと噛み締めていた。

袖に弦の張られたSGを持ったTNA社長の渡辺さんの姿が少し見える。
「ありがとうレスポール」
と労いの言葉をかけ、再びSGを携える。
「社長が弦張ってくれました」
とはにかむオサキアユ。レスポールもよく似合うのだが、今はこのギターこそが彼の愛機。これを携え始めた時期へとまた時代は戻る。なかしーの踏む重厚なバスドラの音に身体が揺れる"0830"。アルバムの中でも一際スローなこの曲は初のメンバーのコーラスが入った曲。ナカシーは勿論、弘明さんも歌うのだ。ほんの少しシャープした音程が未だ慣れてない感があって初々しい。

「今日は来てないけど」
と一言挟んだ後、代表曲ともいえる"前線に告ぐ"。いつかのライブで「また元気で会いましょう、そういう曲です」と紹介していた。これもまた再会を想う曲なのだ。ただ、この日は実はかなりパーソナルな曲なんだと想わされた。「あなたならうまく生き残れるわ」と、当時の彼は文豪の言葉を借りた。パーソナルな曲だからこそそれを感じ取った人の心にじんわりと沁みて、中には救われた人もいたんだろう。僕もまた年々この曲を大切に聴くようになっている一人だ。

「言わなくてもわかるくらい声枯れちゃった。絶対おるんやろな、歌のピッチ良くねえなってちくちく言う奴」
と笑ってみせるがすぐに
「ごめんね、ちゃんと歌えなくて」
と謝ったとき、ほんの少しだけオサキアユをいつもより近く感じた。

「皆さんの目には僕ら3人しか映ってないと思うけど、僕らは演奏してるだけの人です。今日のために動いてくれる人たちがいっぱいいて、物販してくれてるスタッフ、THE NINTH APOLLO、BIGCAT、イベンター会社のサウンドクリエイター、PAはカトウミキヒロ、照明はART HOUSEからむーちゃん……人の数で言ったら僕らなんて10%くらいで、人が積み上げてきたステージで演奏させてもらっとる、もうすぐ30の人たちですわ。演奏しながら、僕らって演奏してるだけだなって思いました。今までちゃんと感謝したことなかったな、感謝したいです。ありがとうございました。」

上から目線になってしまうが、こういうMCをするようになるとは思わなかったなとまたも昔を懐かしみながらじんわりきてしまった。フロアに対してキレたり、対バンに対してキレたり、メンバーに対してキレたり、眠いですって言っちゃったり。あの時より今の方が断然好きだって思った。

「もう終わります、楽しかったです。演奏中にいろいろ考えました。まあ初めてってこんなもんかな」
とメンバーに問いかけると
「楽しかったね」
とナカシーが返す。ナカシーもなんかあったら言いや、と珍しい彼のMCへ。

「たくさん来ていただいてありがとうございます。延期になったのにソールドしてこんだけの人が来てくれるのはすごいことだと思います。今一度、ここに居る皆さんとスタッフの皆さんに感謝したいです。どうもありがとうございました」
と慣れないながらも誠意のある言葉を届けてくれた。

「弘明くんなんかある? みんなわかるよな? 俺らのライブずっと弾いてるしPVにも映ってるもんな」
と振るも
「なんもないよねー」
と拍子抜けしてしまう返答。思わず笑う2人に楽しかったーと返す弘明さん。それに対して
「ね、楽しいからバンドやってるもんな」
と確かめたオサキアユが、とてもいい笑顔をしていたのを俺は見逃さなかった。

「ありがとうございました」
と最後のセクションへ。"夜に訊く" どこか切迫した緊張感を持つこの曲をこの位置にあるおかげで、楽曲の世界にグッとまた引き戻される。もう出し切った声をさらに振り絞るような「もう行かなくちゃ」がなんだか切なかった。

これで終わりかなというところで、「最後の曲です」と"その一閃"が始まる。そうか、こいつがいた。2ndと3rdを繋ぐような曲だと改めてワンマンで感じた。「連日 再会と集い 相対ばっかしていよう」と繰り返し、「時代よ 僕を選んでくれないか」と葛藤を叫ぶその声はまさにファズを踏んだように枯れ歪んでいた。ナカシーはフロアを見渡しながらシンバルを鳴らし、弘明さんは少し下を向いて淡々と演奏に徹している。

残響も止み拍手の音だけになる中、3人は一礼してステージを去った。なんだかここでもう終わってもいいかも……いや、まだだ。あの曲が無いときっと終わらない。最後に演奏するのはあの曲だ。予感を胸に拍手でアンコールを求めた。そしてやはりもう少し観たい気持ちもあった。声が出せないのは惜しかったが、こういうお淑やかな呼び込みもいいじゃないか。

3人がまたステージに出てくるといっそう大きくなった拍手で迎えた。洒落っぽく
「まだ……歌えというんですね」
とフロアに話しかけるオサキアユの顔は本当に嬉しそうだった。各々定位置につき、楽器を再び持つ。オサキアユは話し始めた。この日最後のMC。

「若い人、同い年くらいの人、年上の人、いろんな人が僕らのライブを観に来て結構長いこと観てくれるんですよ。時代や流行にうまく乗ってみようかなと考えたこともあったけど、無理でした。もうすぐ28になるんですけど、みんながそれぞれ何歳かになって、同じように歳取っていきたいです。観てくれる人には感謝してます。今日はたくさんおりすぎて一人ひとりの顔はわかんないですけど。また物販で他愛もない話を面と向かってしてえなぁって思ってます。まだこんなに僕らの音楽に興味を持ってくれる人が居て幸せ者です。いつか死ぬけどね、僕もみんなも。100年後には僕らの音楽なんて誰も聴いてないんやろうけど、しぶとくやります。あとちょっとだけやります、今日は帰って早めに寝ましょうね笑 ありがとうございました」

鋭く尖っていながらも優しく響くオサキアユサウンドが鳴る。いつもこの音から始まってきたね。いつからかリバーブが強くなって、ディレイも乗って、それがオサキアユの音になったよね。

「あてもなく 旅をする俺たちは なんだか風のようだね」

たまにライブでだけ歌っていた導入部。なんだか風のようだね、のリフレイン。曲に入る刹那の静寂、なかしーとオサキアユの叫び声が重なって最後の曲の演奏が始まった。

"生活について"
最後はこの曲だと何となく分かっていたけれど、この日は聴きながらそう予感していた理由がわかった。この曲は故郷なんだ。別に毎日触れるわけじゃないけど、みんなが必ず持っている、何処かに在る帰り着く場所。ああそういえばそんな歌詞だったな、この曲。そんなことを思いながらステージを眺めていたら、間奏のベースだけになるところでオサキアユが目頭を押さえた。もう泣いてるのを隠そうともしなくなった。初めて見た、彼の泣く姿。そんな姿にまた涙腺が緩んでいるうちに、遂に最後のサビまで来てしまった。

「どこか遠くの街を旅して帰るよ 気が触れるまで
感性は月へ行って ぐるっとね 周ってさ  歳を取るよ
歳を取っていくのさ 俺たちは」

何周も何周もして、遠回りや近道をしたり立ち止まったりしても、最後はここに辿り着く。ここが故郷だったんだな。歳を取って丸くなったりまた尖ったり間違ったりしても、結局はここに帰ってくるんだね。こうして書いてるとまるであなたたちのこれまでの道程のようじゃないか。そんな歌詞だったんだってこの瞬間にやっと気付いた。この曲に出会ってもう6年も経つというのに。

全ての演奏を終えて、一礼して帰っていく。オサキアユは足早に、弘明さんは安心したような面持ちで、最後まで残っていたナカシーは一言マイクを通して「ありがとうございました」とまた伝えてくれたがどう聞いても涙で声になっていなかった。彼の涙もまた初めて目にするもので、俺はまた泣いてしまった。

大きな勘違いであることを自覚して言わせてほしい。泣いていることを隠さなくなった瞬間、心を開いてくれた気がした。もちろんこれまでが閉ざしていたとは言わない、いや閉ざしていた時期もあったかもしれないが。でも弱い部分を見せてくれるという一つの愛情表現だったんじゃないかな。いちいち本人に確認したりしない、俺がそう思っているだけでいい。ほんの少しまた距離が近くなった気がした。

1st One-man GIGS "reunions" 終演。

客電が付いて"pupa"が流れ始めた時、「あぁ終わったんだな」と安心してまた泣いた。泣きすぎだな俺は。

元来ライブとは生物で、少しでも何かがかけ違えば全く違うものになる。このワンマンなんてまさにそうだった。きっと数年前ならこんなライブにはならなかった。もっとからっとぴりっとしたライブになってた気がする。彼らが2020をストラグルし続けてきたひとつの結果に「THREE」というアルバムがあって、その道中で彼らのマインドは緩やかに変わっていったんだと思う。「楽しいからバンドをやっている」その言葉がうれしかった。形を変えながら休みながら牛歩ながら8年、歩いてきた結果の再会だ。

出会ってから6年。僕なりに、このバンドと共に、このバンドの曲と共に歩んできた。これが「歳を取る」ってことなんだな。彼らが願ってくれたように、僕もこれからもそう在りたいと願っている。ありがとうございました。お互い元気に生き伸びたその先で、また再会しましょう。

「音楽は再会のためにある」
そう聞いていた。
なるほど、確かにその通りだったよ。

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