嘗て殺した感情へ

 人間性を語る時、誰もが感情の話をする。人間とロボットを分けるのは感情、感情の欠落は人間性の欠如、そんな言葉を用いて。

 思えばしかし、感情とは刹那的な現象、事に当たり、物に対して向けられる反応だ。ならば人間というのはよほど刹那的な存在なのだろうというと、必ずしもそうではないらしい。僕らはいつも、感情によって動いているのではない。僕らが僕らを動かしていると考えているところのそれは、感情ではなく動機だ。動機とは、感情というブラックボックスの一部を光によって照らしたもので、その光は通常、言葉や、観念や、ある種の思想と呼ばれている。

 感情は、時間に勝つことができない。それは僕ら人間が絶えず、自分の中に生まれる感情を、言葉によって取捨選択し、改変することによってしか生きられないからだ。感情を謳う。そこにロマンがある。だとすれば実際のところ、人間とはなんとも不粋でせせこましい生き物であるに違いない。

私たち、自意識を持った宇宙なんです。

 3月3日公開の映画、アイスと雨音。主人公である森田想の放つこの言葉を称揚することも、目を背けることも、僕らには許されていない。この作品に込められた感情や、登場する少女少年が辿った結末を肯定することも否定することも、僕らには許されていないに違いない。そのどちらもが、僕らの人間という存在にたいして、当事者意識を欠くことにつながるからだ。

 オーディションで主演に選ばれ、熱意と葛藤をもって取り組んでいた演劇が、上演中止に追い込まれる。現実にはよくある話、なのかはよくわからないが、それでもなお稽古を続行させようとする主人公に対して、観客の寄り添う余地はあまりにも少ない。劇中劇の主人公の人格とリンクしながら進行する森田想の言動は、まさに狂人のそれである。そして彼女は他の人物を巻き込みながら、良識ある大人たちの制止を呆れるほど見事に無視し、観客のいない劇場に不法侵入するという破滅的な結末に向かう。

 この狂気に対して人は、疑念を挟まずにはいられない。恥を知り、もう少し賢明になるべきではないのかと。このような野放図で荒唐無稽な人間性はせいぜい劇的な破滅にしか結びつくことはなく、成功などもってのほかではないかと。そんな居心地の悪さを抱えながら、目の前で展開する支離滅裂で無軌道な言動の連続に、思わず眉をひそめる。

 けれど、ある程度情緒の機敏に鋭い人ならば、そのような自らの反応の後にくる虚しさを、決して見逃しはしないはずだ。それは終盤にさしかかるにつれ徐々に芽生えていき、先ほどの主人公の台詞とともに開花する。私たち、自意識を持った宇宙なんです。僕らは宇宙で、その内部では無数の星が誕生と消滅を繰り返している。感情という名の星が、生まれては消え、互いに衝突し、発火している。それらの全てを、高すぎる自意識で抱え込みきれなくなったときの、僕ら人間の脆さ。青春と呼ばれる日々が、その最たるものなのかもしれない。

 上映が終了し、しばらくの間言葉を発することができなった僕は、トイレに入って少し泣いた。それは決して、共感や希望などといった生ぬるいものではなかった。おそらくそれは、真実というものの持つ力だ。いつか殺したかもしれない過去の自分が、時間の静止した世界でもがき苦しむのを見せられたような、衝撃だった。これからも僕は自分の中のなにかを殺しながら、それを生きると呼んで、笑ったり泣いたりしていくのだと、何度も思った。

 改めて言う。この作品の感情を肯定することも否定することも、僕らにはできない。人は、自分を殺しながら生きているし、これからもそうあり続けるに違いない。ただ言えることがあるとすれば、そうして殺されていったかつての自分を弔いながら前に進むことができたなら、そのことに対する涙を惜しまずにいられたなら、世界は少し、屈託のなさを取り戻してくれるかもしれないということ。ただそれだけ。

#アイスと雨音 #映画 #コラム #詩 #小説

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たくよ takuyo

長い文章

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コメント4件

監督がツイッターでこの記事紹介してたのご覧になりましたか?まだみてなかったらぜひツイッターで検索してみてください。わたしもこの文章読んでこの映画見に行こうと思いました。
@ゆきちゃん 見ました!阿部広太郎さんにもシェアして頂けて感涙ものです笑 ゆきさんの感想も読みたいです〜
クラスで紹介されたので早速、読みました!同じ物を見てこんな表現があるのだと勉強になりました!また、色々お話し聞かせて下さい!
@さちえさんありがとうございます!さちえさんもいっぱいかいてください!
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