「今思えば」について

 アンミカは言った。失敗から何かを学べばそれは失敗ではなくなる。まるで偉人の名言のような文体で書いてしまった。文体一つでここまで実際の明るさとは乖離するのだから、普段から言葉遣いには気を付けないといけないと反省する。なぜこの記事を書くに至ったかというと、逃げるは恥だが役に立つの2021年新春スペシャルがあまりに素晴らしく、感じた事を全てここに残しかったからだ。ストーリーには触れず、登場人物とその役者、作中の発言を切り取っていく。

 私は妻子と3人家族で、生活と仕事の折り合いをつけられず、精神疾患により社会からリタイアし、結果として育児休暇を取得したような運びとなった。考える力は衰える事なく頭を悩ませ、眠れない私は、2時間おきに目覚める乳児と生活リズムが似ていた。保育園に入ると、乳児の1日の記録をつけるよう指示されるため、私の字で私の育児の記録が残されているが、ほとんど覚えていない。ただ一つ、辛かった。


 このドラマを見てレビュー1や2がついてしまう事が悲しい。作品としてよく世に出していただけたと感謝の気持ちしかない。もちろん楽しませてもいただいた。私が一番不可解なのは、この内容だと万人には受けないみたいな、私はいいけど他の人は嫌だと感じるかもしれないといったレビューだ。どうして他人を思いやって評価が下がるのだろうか。たとえばレビュー2.5の作品があったとして、全員が主観的な価値観で捉え賛否が完全に半分に分かれたとしたら、それは素晴らしい事でありそれぞれの価値観をこの先も持ち続けて、頑固として貫くのではなく柔軟にアップデートする姿勢をそれぞれが持っていけば良い。とは思った。


 この作品で私が印象に残ったセリフは二つ合って、それはどちらも森山みくりの母が言ったセリフだ。「運命の人と出会うんじゃなくて、運命の人にするの」。とても素敵な事だと思った。運命という言葉は全て後付けで、そうなる運命だったというような使われ方をされる事が多い。占い師が万人から信用される世の中でない限りは、運命は予言的な使われ方はされないはずだ。もう一つは「今思えば、辛かったかな」。過去の自分を正確に捉えたセリフだと思った。私はこのセリフを一字一句違わず今感じている。今辛いのかどうかは実際のところわからない。例えば、何もせずに部屋の中だけで自由に過ごせるとする。その時には分からないが、実は1ヶ月くらいしたら地獄のように感じる人もいるかもしれない。後にならないと辛かったかどうか分からないこともあるのだ。これがとても厄介で、本当に辛かった精神疾患の時、笑顔の写真を撮っただけで、楽しそうでいいよねと言われることもあった。本当に辛かったけれど、あの笑顔の瞬間、辛くなかったとみなされてしまうこともある。実際のところは覚えていないが、本当にその瞬間だけ切り取れば辛くなかったのかもしれない。ドラマではそこまでメインには出てこないみくりの母であるが、もやもやした考え方を言語化してくれる大事な存在である。


 長年愛されるためには普遍的である方が良い。このドラマは時代をそのまま反映しているため、時代が変われば間違っていたと、問題作とされてしまう可能性も秘めている。私は社会的な人というものについて、終着点は近いと思う。人は、性別、貧富、国籍等カテゴライズしすぎた。それを取っ払っていく事が平等と考えるならば、このドラマはそこに向かいつつある。いろんな角度から問題視されている点に触れすぎて、どれを解決したいか分からないと言われたら、その通りだと答える。初めて知った考え方があったならば、このドラマは社会にとても良い影響を与えたと確信できるとともに、自信を持って後世に伝えていきたいと本気で思う。


 そしてこのドラマが数年後、普遍的な作品になっている事を願う。

書くために本を読みます! 本の経済が潤いますように!