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NO.104 「白か黒か」ではない思考に就いて

学生時代、僕が所属していた大学のサークルであるレコード鑑賞会の先輩の一人に朴さんという女性がいた。

彼女はいつも穏やかに微笑んでいて、いつもその周りには柔らかい光が射し込込んでいるような印象があった…

だから、少し前になるけれど著書『帝国の慰安婦』が日韓で大きな論争を巻き起こした時、友人から、日本文学研究者でその本の著者である朴裕河(パク ユハ)氏が、僕が所属していたサークルの先輩の一人である朴さんと同一人物だったと聞いた時には、にわかには信じられなかった。

僕はまだ朴氏の著書『帝国の慰安婦』を読んだことはなかったけれど、今年2月22日の「朝日新聞」に掲載された「日韓未来に向けて」というタイトルの彼女へのインタビューを読んで、慰安婦問題について語る朴氏の、右でも左でもない(物事に白黒をつけて簡単に決着するのではなく)非常に粘り強い彼女の思考の一端に触れてその優秀さと(同時に)孤独を感じた。

朴氏はこんな風に語る。

「重要なのは右か左か、あるいは日本側か韓国側かではなく、考え方が合理的かつ倫理的であるかどうかのはずです。さらに言えば、柔軟な姿勢で視座を変えながら考えることこそが今の時代には必要と考えます」

「日韓問題ではよくファクトの重要性が強調されます。それ以上にまずは『態度』が大切だと感じています。人は誰でも多少の偏見を持って生きています。なぜそう考えるのか常に自問し続ける。個人であれ歴史であれ、相手のことを知ってこそ正しい批判もより深い理解も可能になります。理解すると相手を受け止める余裕が生まれる。過去のことを自分と同一視して感情に振り回されることが多いですが、自分の知る過去はほんの一部に過ぎないという謙虚さで向き合うと、より明るい未来が見えてくると思います」

今、世の中の「不寛容」が益々猛威を奮っているように感じる中、朴氏の考え方はとても貴重だ。

しかし同時に(その誠実さ故に)ひどく苦しい立場に立たされる危うさもまたはらんでいるのかも知れない…と感じたのだった。

実は、朴裕河氏の名前は先日入手した『五木寛之コレクションⅢ 異国ロマンス集』の巻末の五木寛之氏と四方田犬彦氏の特別対談の中でも突然登場したのだけれど、その話はまた別の機会に。

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