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NO.52 「エビデンス」と「不寛容」に就いて

先日(12月7日)の『朝日新聞』の「耕論」というページの「「エビデンス」に囲まれて」という特集で、翻訳家の鴻巣友季子さんによる「即「善悪」判断 覆う不寛容」という文章が掲載されていた。

次のような言葉にとても共感した。

「複雑なものを複雑なまま受け止められない社会では、物事は単純化され、短時間に善悪や正しさが決まります。とたんに「お前が悪い」という攻撃になる。

 さらに、弱い立場の人たちが抱える「抑圧されているけどうまく言い表せない」という状況をぴたりと言い当ててくれた「もやる」「マウンティング」などの言葉も、あらゆる場面に浸透して、攻撃に使われるようになりました。私はSNSで「昔は~だった」と書いただけで「マウント」と言われました。「自分が正しい」「お前は間違っている」というバトルのツールが増大し、エビデンスの突きつけ合いになるのは不毛だと思います。

 分からなさや違和感を抱えながら、答えは出なくとも、他者と長い時間をかけて話すのが対話のはずです。そういう土壌が失われ、不寛容が覆っている。その中で追い詰められる人たちが増えていくのではと懸念しています。」

この国はいつからこんなに不寛容でギスギスした社会になってしまったのだろう…と考えていて、確か、先日友人が「僕たちは昭和の30年、平成の30年を生きてきた」と書いていたのを思いだして、ふと、昭和の終わり1989年位がこの国の一つのターニングポイントだったのかも知れないと思った、

この年の初め、昭和天皇が崩御する。
中国では民主化要求のデモを弾圧する「天安門事件」が起こる。
中・東欧の共産圏ではソ連の軛が一挙に緩み、ドミノ式に政権が倒れさらに長く冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊した。

1985年のプラザ合意以降、日本ではいわゆるバブル経済が到来し、やがて崩壊する。
中曽根首相以降の「新自由主義」続く「グローバル化」、そして「自己責任」が主流となったあたりからによって拡大路線を走ってきた…

現在のこの国の長期的な経済の低迷、目を覆うほどの政治の堕落、人心の著しい崩壊が、平成以降現在まで続き、この国はあらゆる意味で下降線の一途をたどっているようだ…

ではどうすれば…ということへの一つのヒントが、冒頭の鴻巣さんの語る「不寛容」からの脱却にあるだろう。

そして「不寛容」から脱却するための糸口は、やはり、人々が培ってきた歴史、その成果である(広い意味での)哲学・文学・芸術にあるだろうという見解を僕もまた友人と同じくするのだ。



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