NO.102 「好きは因数分解出来ない」ということ
友人と飲んでいると、時折「お、今良いこと言ったよね」と二人で合点して、それを友人がメモしてくれる。
後からそのメモを友人がLINEで送ってくれて、もちろん覚えていることもあるけれど、中には「ちょっと何言ってるかわからない」ような言葉もあって、酔っ払いの思考回路や飲んでいる「場」のエネルギーの可笑しみを痛感する。
先日、一人で飲んでいる時にふと
「好きは因数分解出来ない」
という言葉が頭に浮かびメモしていた。
どういう文脈でその言葉が思いついたのか定かではないけれど、もうすぐ42年間務めた今の会社を卒業するにあたって、自分の会社員生活を振り返った時に、
「なんだかんだ言いながらも、学生時代に好きだった本や音楽や芸術に縁のある会社に入社し、10年ほど前からそれに直接関わるような部署に配属になって、会社の歴史を調べたり、書いたり、語ったり、展覧会の企画に携わったりと、学生時代に自分が好きだった事を仕事にしてきた幸せな会社員生活だったなあ…」
という感慨にふけりながら
「人は20歳頃に好きなだったことを60代になっても繰り返す生き物なのかも知れない。そして、自分が好きなことは、それが何故好きなのかを分析しようとしても、とどのつまりは「好きだから好きなんだ」ということになり、分析しようがない」
ということを
「好きは因数分解できない」
という言葉にしたのかも知れないと思い至った。
「因数分解」という言葉の使い方として、超文系人間の僕には果たしてそれが正しいかどうかはわからないけどれど、今の僕にはしっくりくるような気がしているのです。
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