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NO.96 芥川賞受賞作『東京都同情塔』とドラマ『不適切にもほどがある』の間にあるもの

第170回芥川賞受賞作である九段理江による『東京都同情塔』を読んだ。

僕にはとても面白い小説だった。

タイトルの「東京都同情塔」(トーキョートドージョートー)という名前で呼ばれるそのタワーは刑務所である。

この刑務所(正式名称「シンパシータワートーキョー」)が国立競技場を見おろして建つのは、都心の一等地、新宿御苑があった場所で、奇しくも僕が社会人となって最初に赴任した代々木のオフィスの直ぐ近くだ。

受賞時の著書の言葉から「AIで書かれた小説」というイメージばかりが先行して話題になってしまったけれど、実際にはChatGptで書かれた文章は1ページにも満たず、あくまで小説の中に登場する「シンパシータワートーキョー」の説明として引用されるに過ぎない。

けれど、2030年の東京を舞台としたこの小説は、翻訳家の鴻巣友季子さんの書評を借りれば「やさしいディストピアの物語であると同時に、人間の正しさと不寛容をめぐるポリコレ小説」でもあって、地の文章自体もどこか浮遊感のある、生きる「根っこ」を失った現代の人間社会の陰画のようにも見えて、その意味ではAIの書いた文章を感じさせるのは確かだ。

さて、「ポリコレ」とは、言うまでもなく、「ポリティカル・コレクトネス」の略称で、「社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策(または対策)」などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別、体型などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を使用することを指していて、「政治的正しさ」「政治的妥当性」などと訳される言葉だ。

この小説の中の塔(シンパシータワートーキョー)の中では、他人を傷つける言葉、ネガティブな言葉を発してはいけないルールがあり、他人との比較は最も不健全なことなので、SNSもスマホも禁止。受刑者(「ホモ・ミゼラビリス」と呼ばれる)たちは全面的な自己肯定感を得られる環境で、静かに音楽や読書を楽しみながら過ごしている。

その場所は確かに「ユートピアの顔をしたやさしいディストピア」だ。

これ以上物語を紹介してしまうとこれから読まれる方の楽しみを削いでしまうので、この小説についてはこれくらいに留めるけれど、「ポリコレ」という言葉で僕が思い浮かべるのは、宮藤官九郎脚本のドラマ『不適切にもほどがある』の事。

阿部サダヲ演じる昭和(1986年が舞台)のおじさんの価値観はまさに僕が社会人になった頃の価値観そのもの。

主人公が「コンプライアンスの時代」である令和のこの国と昭和の時代を(タイムマシンを使って)行き来しながら、繰り広げるドラマはミュージカル仕立てで毎回僕らを楽しませてくれる。

宮藤官九郎は、昭和の時代遅れのモラルを笑い飛ばしながらも、コンプライアンスにがんじがらめになって窒息しそうな令和のこの国もまた皮肉る。

そして、このドラマ『不適切にもほどがある』のアイロニカルな味わいは、どこか小説『東京都同情塔』にも通じるものがあるように思うのだ。

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