別に「月曜日のたわわ」を好きにならんで良いんやで?
かくいう私も、「月曜日のたわわは苦手だけど、月曜日のたわわの広告が出ることについては、話題になるコンテンツがいっぱい出てきて嬉しいな」ぐらいのスタンスです。
どっちも本当の気持ちですよ?
嫌いだという人の気持ちはわかんなくもない。
同時に自分の好きな文化圏が広告として世に出る姿を応援したい。
ただ…その辺を混同しちゃってる人がいっぱいいましてですね…
認知閾についてこられない皆様のツイートをお楽しみ下さい
「認知閾」の意味はまた後ほど
「半公共空間」ねぇ…。新聞なんて昔から官能小説っぽい広告とか、胡散臭い旅行会社・仏具の広告なんかをよく見かけますけどね…。
普通にアマゾンで買える全年齢対象のマンガが「半公共空間に不適切」とおっしゃる前に、もっと詐欺っぽい広告や、あからさまにエッチな広告なんて山のようにあるから【被害者を救う】ために、頭を使ってもらいたい。
別に私的にノーパンしゃぶしゃぶに行くのはいいと思いますよ?
アレは「大蔵省を銀行が接待する時にノーパンしゃぶしゃぶ」だったという汚職問題がアウトなだけです。
昭和みたいな価値観だって多様性だし…そもそもこれ、ただの絵だぞ?
「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」にイラストは含まれません。
2005年から再三にわたり、イラストを含むかの議論は出てますが、その都度廃案になっていることをご存知ないまま誤解をなめく法律用語を使うのはやめていただきたい!
「ゾーニング」って何かご存知ですか?法律で決められてることじゃなくて、ただの自主規制ですよ?
そして、自主規制するのはこの場合は講談社や日経でしょ?
どうして、コミックナタリーのツイートに対して「大手新聞社の広告」への自主規制を訴えるんですか?ナタリーってそんな権力あるんですか?
フィクションやし、作品上では割りと相思相愛なんだよなぁ…。
あと、「男性の目線が嫌だ」というが…マンガだとむしろ最初女の子に極端に気まずく感じてるのは男性の方です。
自分のトラウマと、作品上の文脈を混同されましても…。
結局さぁ…「認知閾」問題なんですよ
私、いくつかのツイートに
「法律の定義では、言葉の使い方を間違ってる」
とか、
「フィクションと現実は違うし、フィクションでは女性が思ってるような一方的で強引な関係ではなく、むしろ男性側が気を使っている」
とか、
「その事件の問題は、汚職であって、お店じゃない」
といったことを書いていきましたが…要するに「予備知識足りないんじゃないですか?」「ちゃんと背景を調べましたか?」と言っています。
アニメ・マンガに限ったことではないのです。
社会問題というのはとても複雑で、直感的な発言が必ずしも正しいとは限らないのです。
そうですね…。
アニメやマンガを表現する自由も大事ですし、そこから生まれる雇用が生まれるということは、オタクにとってもマンガ家にとってもすごく大切なことです。
そして、今の人は忘れていますが、戦前にはちょっと色っぽいラブソングや、ミステリー小説まで検閲の対象になっていたため、オタクじゃなくても表現の自由を守らないと娯楽の範囲が狭まってしまいます。
試しに、戦前規制されたラブソング載せときますから…「これが規制されてもいいから、オタク文化コロスベシ」と思うんだったら、好きにして。
私はラブソングさえ規制されるようの中なんかまっぴらごめんなので、戦い続けます。
それだけでもひどいんですが、日本はもっと酷い規制をしたことがあるんです。
なにしろ、行き着く先は、戦中に兵隊さんの手紙まで黒塗りにしたり、娯楽作品が世の中のムードと合ってないから検閲だとか、とんでもないことを言い出す(本当に言い出した)のですから…本当はリベラル・左翼・戦争反対な人にこそ、表現の自由の大切さを守っていただきたいものです。
しかし悲しいかな、オタク文化を敵視する・どんどん規制に追いやりたいことで有名なフェミニストに限って左派政党を応援していて、中には共産党の公式動画や、候補者の応援まで表明する人がいるので、
「リベラルとはなんぞや?」
と、クビを傾げ続け、そろそろ肩こりで大変なことになりそうです。
過去の歴史を知らない人は、簡単にやっと来た自由の時代を、昔の恐ろしい検閲の時代に戻そうとする。
今やっと芽吹いてきたオタク産業を、人々の生活の事なんか考えずに規制や排除を口にする。
様々な配慮や法律遵守の中で作っているモノを頭ごなしで批判したり、見当違いの陰謀論を唱える。
しかも、これがアニメ・マンガぐらいならまだしも、ものづくりや医療に関連することまで、地道な仕事人の努力を知ろうともしないで、よくわからん陰謀論や、被害ばかりを強調する針小棒大な反対運動に走ってしまう。
そういう奴らまとめて「認知閾」問題ですよ。
複雑な社会構造についてこれないまま、脊髄反射的に批判する。
間違ってることを指摘しても、「議論」ができないから、人格否定やいじめだと思い込んで、ろくに話も聞きやしない。
だから、「これはこうでこうなって」「その用語や認識は違う」みたいに色々言っても…駄目な人はダメです。
社会についてくるだけの頭または、落ち着いて正しいことを選ぶ・調べるような判断力がないんだからダメです。
「ダメだとわかっててなんでこういう記事書いてるの?」
ここも、認知閾なんですよ。
いくら説明してもダメな人もいる。
逆に、「話せばわかる人」「自分の非を素直に認める人」もいます。
あるいは、私よりも議論をする引き出しがない人が「へぇ~そう考えれば、もっと早く反応できるんだ」と新しい引き出しを得ることもあります。
だから、みんな言い続けるんです。
「伝わる人には伝わる」と信じて。
それこそ、月曜日のたわわの広告のようにね。
別に「月曜日のたわわ」を好きになる必要はないよ?
好き嫌いじゃなくて、排除によって「他人に振る舞いを制約されること」が、オタク(文化)への攻撃になっていて、争いを生んでいるのです。
それを、法律にしようとしたり、複雑な経緯をすっ飛ばしたり、用語の使い方を間違えたレッテル貼りに走ろうとする人もいるので、オタク文化を愛する人間にとって、冗談や軽口では済まないのです。
だから、「排除」を訴えるものは、排除されないために戦う人を敵に回すことになるのです。
できることなら「自分の好きなこと」の中で生きてください。
誰かの愚痴や批判ばかり口にするばかりの人生なんか不幸です。
嫌いがあったとして、「自分は自分」「他人は他人」と言える場所を作って下さい。
そうすれば、排除される側の人間の気持ちも少しはわかります。
自分の好きに土足で踏み込む迷惑さも、見当違いなことを言われた時に「見下げる」ような気持ちもです。
そして、好き嫌いと政治的イデオロギーは別物です。
私だって、「月曜日のたわわ」のアニメを最初に見た時、女の子が「私クッション性あるんですよ」みたいに言い出した時に、受け付けなかったです。
表現にガサツさというか、「親密だからこそ言えるのかもしれないけど、見たばかりの視聴者をすごい勢いで置いてきぼりにしたセリフやな」みたいなものを感じて、コレジャナイ感を感じました。
ちょっと専門的な話をすると、恋愛や情事において【女の子が自分のことモノ扱いする】表現は、すごい親密度が高い時でかつ、男性は男性で抵抗感を感じてるのをよく理解してる時なんです。
…つまり、すごくできた女の子じゃないと言えないセリフが1話の頭の方で出てきちゃったから
「これ、本人たちの間ではそれが言える信頼性が確立されてるのかもしれないけど、見たばっかりの作品ですぐにこの言葉が女の子から出ちゃうのは、なんか媚び媚びすぎて感情移入できない」
と、思ったわけです。
多分、苦手な人が感じるのも、この「ついていけない」なんだと私は理解してます。
月曜日のたわわイラストをパッと見ても、それが唐突すぎて、ストーリー性と紐づかないことで「苦手」「ちょっと話ができすぎてて気持ちが悪い」というのは…まぁ、分かります。
でも、広告が出たことについては
「あの作品、人気のまままだ続いてるんだ…すごいじゃん!」
「アニメでは苦手だったし、原作のイラストにもどうしてもイラストゆえの情報不足はある。でも、宣伝されてるマンガの方では伝わりづらかった部分をバランス取り直したり、たわわをギャグテイストで使ってる面白さもあるから…メディアミックスしたことで、進化・人気再燃したんやな」
みたいな感じ見てます。
良いことじゃないですか!
儲かるクリエイターが増えて、オタク文化がどんどん市民権を得るほどに盛り上がって、良いじゃないですか!
ぼくの好きな作品、だいたいわかりにくいから、話題になるのはだいたいぼくがそこまで好きじゃないか、もう一味ほしい作品。
…それでも良いんですよ、オタク文化全体が盛り上がってクリエイターにいい生活、オタクに楽しい作品があふれたらそれで良いんです。
…という、ハッピーなサイクルを邪魔しないでもらいたいんですよ。
それも、政治的な建前でこじつけて攻撃なんか見当違いすぎるので、ブチ切れるに決まってるじゃないですか…。
このぐらいバカバカしく言えば理解してもらえるかな?
独裁者にでもならない限りは、みんな「自分の【嫌い】が存在する世の中」を妥協して生きてるんですよ。
そのカオスこそがリアルであり、カオスを壊そうとしたら、カオスから壊される。それが人の世の常です。
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