見出し画像

生存確認としての記述【前編】

2020年も残すところあと340日あまり。
いかがお過ごしでしょうか。

昨年10月、独立から1年経ったので、つらつらと書き連ねてみました。


気張りすぎず、思いのままに書いたのですが、読み直してみると、考えていることを書き出すというのは自分の頭の整理になるもんやな、と気づきました。
そして、文章の拙さにも気づきました。

日々、スマホのメモに気づいたことなどは残すようにしているのですが、最近になって何年か遅れのtwitterも使ってみたり、「出す」ということをもう少し意識していこうと思っている次第です。

そして常々感じている、
頭の中を鮮明に出力することが著しく苦手なので、その練習になれば。

さて、
ここにきて自己紹介とまではいきませんが、
昔からの僕を知る知り合いには近況報告(=生存確認)として、
まだ知り合って浅い人には自分を知ってもらう一助として書き出していきたいと思います。

はじめに

大阪で生まれ育った一般的な家庭の末っ子の僕は、
多くの縁から、四国は香川県に移住し、会社を興し、事業を運営するということに人生を賭けています。

両親や今までの自分を知る周囲の人からしても、
「おお、そうきたか」的な展開です。

本当に人生、何が起こるか分からない。
そして、どれだけの幸運があったのか。
これからどれだけワクワクできるのか。

そんなことに改めて思いを馳せながらポチポチと。

やってること

まずは、今のこと。
2020年1月18日時点の状況として…
tet.(テト)というブランドおよび会社をやっています。
ブランドについては、ここから

色んな出会いやタイミングも相まって、東かがわ市出身の奥さんが一念発起してスタートしたものです。

コアにあるのは、
130年も続く産業である手袋産業をもっと多くの人に知ってもらいたい
そして未来につなげたい
何より自分が生まれ育った町の魅力を伝えたい

という思いです。

平たく言うと、
県外に出たときに「香川=うどん」しか誰にも知られていなかった、ということが悔しかったということが原動力です。

生まれ育ち、お世話になった町の一大産業に関与する、という活動。
おかげさまで信頼できるパートナーもこの活動に力を貸してくださっています。
これは彼女自身や彼女のご両親、先代の方たちがこの地域で築き上げた信頼の上の産物でもあります。

実は僕はブランドの大枠が固まり、ローンチした途中からの参画です。

そして昨年、会社として独立し、体を成してから、会社の代表としてお金のことやら事業のことやら色々と考えてます。
・・・と、言ったら聞こえはいいですが、
出来る限り冷静に客観性を持って色んな決定をする、そして彼女が迷った時に背中を押す、チームが力を発揮できるような環境を作るといった役割です。
「tet.」という「ブランド」においては、できるだけ彼女に顔として活動してもらい、僕はその環境づくりをする、というスタンスです。
(引っ込み思案…笑)

とはいえ、
営業はもちろん出荷や倉庫作業、イベント設営も全員兼務の組織です。

新卒でいわゆる一部上場の素材メーカーに入り、大きな組織の中で規模の大きな取引に関わるルート営業が中心だった僕は、なかなか初めてのことばかりで悪戦苦闘していますが、何とかやってます。

経緯として

大学→就職の自分を知る人からすると、
なんでそんなことなってんの?
というところですが、強いて言うならば「結婚」です。振り返れば長くなりますが、大学で出会った奥さんとは10年来のお付き合いで、実家が自営業ということもあり、香川への移住ということはお付き合いしている頃から頭にありました。
「然るべきタイミングに移住して、お手伝いから始めて…」くらいの漠然さでした。←悪い癖!

奥さん(当時は彼女)が地元に戻って地元の産業に携わる、というチャレンジをすると聞いたときには不思議と驚きはありませんでした。
「やっぱそういうめぐり合わせってあるんやなあ」
という感じ。

とはいえ、地元に戻って地域の産業に関わる、という姿勢には本当に頭が下がります。今でも。

自分を育ててくれた町の近所のおじちゃんおばちゃんや幼馴染が取引先になるわけです。
とても素敵なことですが、勇気のいることだな、と思います。
仕事なので、良いことだけじゃないです。
甘えるだけじゃなく、怒ったり厳しいことを言わないといけないときもある。ちょっと合わないかも、となっても代えが効くわけでもない。

本人はあっけらかんと、「やれるチャンスがあって、その時にやってみたいと思ったから」という頼もしいお言葉を発せられますが、尊敬です。

とまあ、彼女がそういうチャレンジを始めたところ、一人ではどうにもならないという状況を当時付き合っていた自分は毎日聞いてました。

毎日聞く話は新鮮で、
「へー、そんなことまでやるんや」の連続。
でも、誰がやんのそれ?という状態も。

めっちゃ素敵なことするのに、手が足らんからうまくいかない、というのはもったいない。
しかも彼女が考えていることを理解しながら、共に走れる人でないと、この取組みは難しいだろう。
そんな人はうまいこと香川におるんかしら?
おらんよなぁ。

………

ありますやん、然るべきタイミング。
そう気づいたのが、2016年の春。

動機はシンプル

「ほな俺行くわ」

この一言で僕の人生は大きく動き出しました。
まさに錆びた歯車に油が差されたようにクルクルと色んなことが噛み合い、絡み合い、動いていきます。

まずは退職願→引継ぎ→退職→引越しという怒涛のステップ。
本当にスピーディーな展開で退職をしました。

退職して分かったこととして、
(こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが)「大きな会社」は自分が抜けても絶対に何とかなるということです。(当たり前)
当時、入社6年目で関係部署や取組む規模も大きくなり、色々やっていた時期でもあったので自信もありました。
「自分が抜けるわけにはいかない」と思ったことも多々です。
でも今思うと、それは
「抜けることで困って欲しい」という願望でした。

存在意義を作るための自己暗示でしか無かったというわけです。

とはいえ、
当時退職の報告をした課長や部長、本部長、社長、先輩は驚いてはいましたが、ご理解頂き、引き継いだ先輩にもタイトな中での引継ぎで負担をかけましたが、後押ししてくれたことには本当に感謝しています。
※地雷もあったかもしれません笑

さて、退職のご挨拶や、初めてお会いする人に自分のことを話すと、かなりの頻度でいただく質問があります。

「なぜこの決断をしたか?」

動機はめっちゃシンプルです。なんかうまいこと言いたいところですが、
「一番近い人が困ってるし、自分しか力になれないのじゃないかしら。」
というところです。
決断の動機はものすごく私的で、「世界を変えるんや!」とか「起業こそ人生だよね」みたいなものではないです。

…とここまで書いてみると、長くなってきました。笑

ということで、次回へ続きます!

次は【後編】ということで、香川に移ってから、そしてそこで感じたこと、感じていることについてです。

ほなほな。
ではまた。


↓後編はこちら↓


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?