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ダメダメな僕の一日と代々木公園

会社をサボってしまった。

正確に言えば、休みを勘違いしていて、今日は休みだと思っていたのだが、そうではなかったらしい。朝から遠方に出かけていたので、遅れて出社というわけにもいかず、電話口でひたすらに謝って、有休扱いにしてもらった。

電話を切るやいなや、社会人失格だよなとか、ただでさえ疎外感を感じる職場なのに余計に居づらくなったなとか、そういう、情けないだの、悔しいだの、がっかりだの、いろんな気持ちが押し寄せてきて、頭の、こめかみのあたりがグッと締め付けられるような感じになり、居ても立っても居られなくなった。

先々月に寝坊して遅刻したこともあり、なんで自分は、決められた日時に決められた場所に行くという簡単なことが出来ないのだろう、と思った。決して仕事をなめているとかそういうことはなくて、頑張りたいと思っているのに、仕事以前の問題でつまずいてしまう。遅刻してもいいや、サボってもいいや、なんて決して思っていないのに。

自分のダメダメさにとてつもなく嫌気がさすと、また一段とこめかみの辺りが締め付けられ、胸も苦しくなってきて、涙が出そうになった。出先だったので、人前で泣くわけにいかないと、すんでのところでなんとか堪えて、落ち着きを取り戻すために代々木公園に向かった。

代々木公園という場所は、ちょっと変わったところだなと思っている。請け売りだが、都会のオアシスという言葉が、どんぴしゃに似合う。僕はなるべく人のいないエリアを探して空いているベンチに腰掛けた。

背もたれにもたれかかるのは、なんだか世間に悪い気がして、ベンチの端っこにちょこんと座った。ごめんなさい、と思った。いろんな人の顔が浮かんでは消え、その度に自分のダメダメさに呆れた。涙が出そうになったけれど、悲劇のヒロインみたいで、それも許されないだろうと思ったし、許したくもなかったので堪えた。

数十分ごとに人気の少ないエリアのベンチを転々とし、景色をぼうっと眺めながら、主に、理想と現実が大きく乖離していることについて考えていた。なぜこうもうまくいかないのか、それは自分が悪いからだ、という行き止まりに何度もたどり着いた。

4カ所目ぐらいだったろうか。ベンチに腰掛けると、辺りには見慣れない民族楽器を練習する人や操り人形を練習する人たちがいて、みんな一生懸命で、真剣に楽しんでいる顔をしているのが見えた。代々木公園は本当に変なところだ。彼らは上手だったり上手じゃなかったりするのだが、まっすぐだった。かがやいていた。美しかった。

みんな、上手くいったとか上手くいかなかったとかを包括して、その全てを楽しんでいた。好きなものを一生懸命やる人はかっこいいと思った。そんな当たり前のことを忘れていた自分がおかしかった。

代々木公園はちょっと変わったところだ。変わってるから、どんな自分でも受け入れてくれる気がする。生きていていいんだ、と思った。ダメダメな自分が、それでも捨てきれないものに一生懸命になれれば、それだけで輝けるのだと思った。美しいって、決して完璧なことではないのだと思った。忘れていた。

帰る頃には久しぶりの青空が広がっていた。あした、一生懸命謝って、また一生懸命頑張ろう、と思った。それでもどうしようもなくなることがあるとは思う。僕のダメダメさ加減から言えば、それは間違いなく来るだろう。そうなった時は、また代々木公園に戻ってきたい。そしていつか、ダメダメな自分もちゃんと愛せるようになりたい。自分で自分を壊してしまう前に。

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