ガンバ大阪 外国籍選手列伝 その1 1990年代

小学2年生の時に迎えたJリーグ開幕。地名も人名も国名もJリーグで学んだと自負する僕の偏った知識による外国籍選手達の懐かしき思い出達。まずは90年代から。

1993年

リナルド 
ポジション:MF
国籍:ブラジル
在籍年:1993年 

ガンバのJリーグ初代10番であり、ガンバの記念すべきJ初ゴールをアシストした選手。メモリアルな記録とは裏腹にトータル4試合の出場でシーズン早々にいなくなってた。ガンバのJ初ゴールを記念して発売されたグッズでホログラムテレホンカード(角度変えたら絵が動いて初ゴールシーンが見れる。カードを飾る台紙付)を持ってたけど、数年後、中学生くらいの時に普通にテレカとして使い切って捨ててしまったのは若気のいたリナルド。

ミューレル
ポジション:MF
国籍:ブラジル
在籍年:1993年

ガムくちゃヒゲおじさん。遊び心とテクニカルなプレーを見てめっさサッカー上手いと子供ながらに思ってたけど、シーズン途中の東欧路線へのシフトによりフェードアウトしていった。両手で投げキッス連発したり、胸から芝生に滑ったりするゴールセレブレーションめっちゃ真似した。

フラビオ
ポジション:MF
国籍:ブラジル
在籍年:1993年、1994年

京都の田辺町(当時はまだ京田辺市じゃなかった)にあった練習場で、初めて生で見た選手たちの中でもひときわ背が高くて笑顔を振りまいていて一気に好きになった選手。ボランチながらボレーが上手かったりPK職人だったり武田真治に似てたり(諸説なし)。ゴールシーン。96年には京都にも在籍。

賈秀全
ポジション:DF
国籍:中国
在籍年:1993年

カ・シュウゼン。カさん。口に出してると母さんって言ってるみたいになる。今は中国女子代表の監督してるみたい。93年当時、万博の電光掲示板に「カ」とだけ表示されていたのがシュールだった。カシュウゼンといえば忘れられないラモスとの乱闘。カさんのハードマークに嫌気がさしたラモスが肘打ちした後、拾ったボールをカさんの顔面に投げつけて、カさんもブチギレて応戦してパンチ!さらに首を絞めようとするラモス!…結果、仕掛けたラモスにイエロー、カさんは退場。そんなことある?ガンバはその後クソみたいな失点をして敗戦。。。そしてヴェルディには3年後の1996年まで1度も勝てないままになる。。ラモスは「こっちにはバンテリンがあるんよ」って言ったとか言わないとか。

3年って1シーズン2試合×3の6連敗くらい?と思いました??チーム数が少なかった93年〜95年は年4回対戦していたのでリーグ戦で12連敗。さらに93年のナビスコ杯の予選リーグではカズ、ラモス、武田、柱谷などが代表選出によっていないタイミングでの対戦。代表とは無縁のガンバには千載一遇のチャンス!と思ったら1-5で大敗、翌94年のナビスコ杯準決勝での対戦時には1-7と粉砕され、当時の川淵チェアマンに「ガンバなんて消えてなくなれ」と言われました。カさんを見ると当時のことを鮮明に思い出すので「アンチヴェルディ」の象徴に認定します。今でも悔しくて泣けるやん。

クラウジオ
ポジション:DF
国籍:ブラジル
在籍年:1993年

澄んだ瞳の謎外国人。トップでの出場は無いままシーズン途中に退団。したはず。テロテロの紙にサインもらって学習机のマットに敷いて飾ってたのだけが思い出。プレー見たことない。
飾ってたサインを見た人に「誰のサイン?」と聞かれた時は「倉 宇治男。」と日本人っぽい感じで呼んでた。

中越幸大
ポジション:MF
国籍:パラグアイ
在籍年:1993年

クラウジオ以上にネタがない。パラグアイ出身らしいけど見た目は純粋なる日本人。プレー見たこと無し。

セルゲイ・アレイニコフ
ポジション:MF
国籍:ベラルーシ
在籍年:1993年〜1995年

元ユヴェントスとかいう経歴を感じさせない痩身で優しそうな口ヒゲおじさん。家を訪ねたらアポ無しでもココアとか出して歓迎してくれそう。知らんけど。テレビ観戦してたある時、急にスタメンから外れてて怪我を心配しながらテレビ観戦してたら、実況が「アレイニコフは発熱のため欠場です」って言ってて小学生ながらに「発熱!?サッカー選手が!?」と驚きながらも、か弱そうなアレイニコフなら分かる〜ってなった。2014年にはユーベOBとして来日、日本のファンに向けてコメントも残してくれてた。今現在でもベラルーシ人で唯一のJリーガーらしい。アレクセイ・イグナショフはK-1戦士やからね。

キリル・メトコフ
ポジション:MF
国籍:ブルガリア
在籍年:1993年

鮮明に覚えているのは、ばあちゃんの家に移動しててオンタイムで試合を見れず、ばあちゃんの家に到着して、すぐにテレビをつけたら(当時は普通に地上波でいっぱい見れた)、なんとマリノスに2-1でリードしている。その2点ともがその試合がデビューのメトコフのゴールだったこと。試合もそのまま勝利して今後期待しかないやん!と思ったけど、結局その2ゴールのみに終わる。その後は足の小指骨折?とか負傷でフェードアウト。怪我が無かったらシーズン2万ゴール行けたわ〜。

1994年

アフリク・ツベイバ
ポジション:DF
国籍:ロシア
在籍年:1994年〜1996年

ソ連、ウクライナ、ロシアの代表歴があるけど本人はグルジア出身らしい。最終ラインのスイーパーとして感情を露わにすることなく淡々と仕事をこなす選手。クールと思っていたら95年の浦和戦で浦和のウーベ・バインがゴールを決めてその場で手を上げて喜んでいるところに通り過ぎようとしたツベイバが偶然を装いながらショルダータックル。満面の笑みから崩れ去るバインの姿が面白かった(不謹慎)。もちろん退場になりました☆

オレグ・プロタソフ
ポジション:FW
国籍:ウクライナ
在籍年:1994年〜1995年

長身ストライカー。2年連続二桁得点を取ったけど、実績と前評判からするともっとやれるみたいに言われてた選手。ハーフナー・マイクの父親で名古屋と磐田でプレーしてたキーパーのディド・ハーフナーにプレスをかけてプレゼントパスを受けて冷静にゴールに流し込んでたのが印象的。2002年くらいにギリシャのオリンピアコスで監督してるのが耳に入って他の外国籍選手達の近況も調べるきっかけになったことも覚えてる。

1995年

ハンス・ヒルハウス
ポジション:FW
国籍:オランダ
在籍年:1995年〜1996年

オランダ人ストライカー。加入初年度に20得点とゴールを量産。そんなに長身じゃないのにヘディングも上手いし左足シュートはインパクトあるしめっちゃいい選手だった。引退後もサッカー界に留まっていてチェルシーのスカウト時代の2008年にはトップ昇格前の宇佐美に練習参加のオファーを出した。

ヴィエツコスラブ・スクリーニャ
ポジション:MF
国籍:クロアチア
在籍年:1995年〜1996年

イケメンレフティー。この画像の大阪ダービーの時は躍動してた。どうやら今はチェリー農家をやってるらしい。在籍当時に日本で生まれた子供に宮本(恒さん)が親切だったからと子供にミアという名前をつけたという逸話がある。Facebookで「Mia Skrinjar」って検索してみたら整った顔の若い女性が出てきたからスクリーニャの娘さんかもしれない。

1996年

ムラデン・ムラデノビッチ
ポジション:MF
国籍:クロアチア
在籍年:1996年〜1997年

96年、チームの成績はパッとしなかったけど、ムラデノビッチは小さいのに凄かった。在籍中クロアチア代表として欧州選手権にも出場。イヤーブックによると週一ペースで王将枚方店に通っていたらしい。大学の授業でゴーゴリの短編小説「外套」を読んだ時、主人公の名前がアカーキー・アカーキエヴィッチで僕はムラデン・ムラデノビッチに想いを馳せました。

ボバン・バブンスキー
ポジション:DF
国籍:マケドニア
在籍年:1996年〜1998年

加入した時の触れ込みは「マケドニアの英雄」。マケドニアてどこなん。って思ったけど、エレガントなプレースタイルに魅了された。攻め手が無い時に見せる最終ラインから急にドリブル開始して切り込んでいく姿は、後のシジクレイと共通するところ。5年くらい前、息子のダビドとドリアンがバルサとレアルの下部組織でプレーしていて将来楽しみ〜と思っていたら2人とも今日本にいるという。

1997年

パトリック・エムボマ
ポジション:FW
国籍:カメルーン
在籍年:1997年〜1998年

浪速の黒豹。何も期待してなかった97年が特別になったのは間違いなくこの男のおかげ。えげつないシュート、トラップ、空中戦、白地のスパイク、全てが新鮮だった。自分で全部やりきる力もあるけど全くエゴイストではなくて、味方を使うのも上手くて、キーパーまで引きつけてのアシストでツートップの相棒松波が何点稼いだか。あとはユニホームコレクターだったり息子の名前Kenjiだったりカメルーン代表でキャプテンしてたり。以前、僕がインスタに元ガンバ小島宏美との懐かしい写真を載せたら

ってコメントくれたMboma😉

ネボイシャ・クルプニ
ポジション:MF
国籍:セルビア
在籍年:1997年 〜1998年

ストイコビッチ2世と言われてたトップ下が似合うレフティ。エムボマ、松波のツートップにラストパスを供給したり、パンチ力のある左足ミドルでゴールを決めたり。ストイコビッチとは利き足も違うしプレースタイルも違ったけど、気性の荒いカードコレクターなことは一緒だった。2006年にはジェフ千葉に加入。千葉での登録名はクルプニコビッチでした。

アミール・カーリッチ
ポジション:MF
国籍:スロベニア
在籍年:1997年 〜1998年

完全に見た目だけで浪速の板前と異名をつけられる。現役スロベニア代表だったけど、エムボマ、クルプニ、バブンスキーで外国人枠が埋まってしまってあぶれてあんまり試合に出れなかった。2002年には日韓ワールドカップにもスロベニア代表として出場。ちょっとだけ髪が伸びて板前感が薄れてた。

1998年

クロード・ダンブリー
ポジション:DF
国籍:フランス
在籍年:1998年〜2001年

たまにポカをするナイスガイ。髪を跳ね上げながら走る姿が印象的。前所属はFCグニョン。めっちゃ足捻挫しそう。

アント・ドロブニャク
ポジション:MF
国籍:モンテネグロ
在籍年:1998年 〜1999年

エムボマの代わりとして加入。フランスのリーグ アンで4年連続二桁得点を挙げてそのまま日本へ、ということで当時読んでいたサッカーマガジンの補強助っ人の査定値が他のクラブの選手と違って1人だけSクラスとされていた。というわけでエムボマ並の活躍を期待したものの、そこまで活躍しきれず。クロスに合わせるヘディングとか迫力あったけどな〜〜

1999年

ピオトルシヴィエルチェフスキ
ポジション:MF
国籍:ポーランド
在籍年:1999年

半年間だけやってきたポーランド人MF。ガンバでの登録名はピオトル。自分のサッカーが忙しい時期で生で見たことないけど10番だしめちゃくちゃテクニシャンだろうと思っていたら日韓ワールドカップの時にテレビで見て、あれ?そうでもない?どっちかというとファイタータイプ?ってなった。日韓W杯前に通ってた高校にポーランド人留学生がやってきて来たその日に「ピオトル知ってる?」と話しかけに行ったら、知らないみたいで困惑させてしまった。。ピオトル以外に知ってるポーランド人選手…とナイジェリアからの帰化選手オリサデベの名を出したら、留学生の表情が一変、一気に打ち解けた。サッカーには夢がある。後日分かったのはピオトルのことはシヴィエルチェフスキと認識していたので通じなかったのだった。

ルイジーニョ
ポジション:MF
国籍:ブラジル
在籍年:1999年

ピオトルの後、10番を継いで同じく半年だけ在籍したブラジル人MF。同じくプレーは生で見たことないけど練習場でサインもらった時はめちゃくちゃ優しかった。

タイルソン
ポジション:FW
国籍:ブラジル
在籍年:1999年

ドロブニャクの後、9番を継いで同じく半年だけプレーしたブラジル人FW。以下、ルイジーニョと同文です。

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