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人を呪わば穴二つ

映画刀剣乱舞を見て1日経ち、色々感想読んだり、考察読んだりして、理解できたこととそうでもないところとあるな。外部資料読まないと理解できない設定があるのはあんまり賛成できないけど。

以下、またネタバレに触れることがあると思います。ご注意を。




映画刀剣乱舞の感想漁ってたら、私が引っ掛かっていた「藤原道長が無辜の民を騙し討ちにして襲撃するの不可解」という点は、「まつろわぬ民の討伐に正規軍を投入した」と考えて納得している人が多いようだ。

まつろわぬ民。辞書で調べると、平定事業などにおいて抵抗を続け、帰順しない民族のこと。実際日本において迫害された民族は蝦夷や土蜘蛛など、存在するわけで、となるとあれは設定としておかしくない、ということだろうか。

これ単純に私の知識不足なのかもしれないけど、虐殺シーンを一見して「まつろわぬ民だ!」とは思わなかったんだよなー。長崎県人が隠れキリシタンの話を聞くように、本州の人はまつろわぬ民について習うのだろうか?

しかし「大江山に鬼がいたが討伐した」ということにしたとして、平定した場所に人が住むだろうか?今だって事故物件には住みたくないみたいなのあるのにさ。昔の人はもっと不思議な力を信じてたのに、鬼の怨霊が出たら怖いじゃん。結局邪魔な住民を討伐したとて、何にも使えない空き地が出来るだけじゃね?と思っちゃうんだけど。

その辺もまつろわぬ民のことを習ってたらわかるのかな。

話は変わるが、酒呑童子はせめて頼光たちの目の前で呪うべきだったよな、と思う。

人を呪わば穴二つ、っていうじゃないですか。呪ったら自分にも影響が出る、というやつ。

私が思うに、「呪い」が効力を発揮するのって、呪いをかけた相手に「呪われたらしい」ということが伝わらないと意味ないと思うんですね。自分に悪意をもった相手がいて、なんなら遠隔で殺そうとしている、という自分に向けられた悪意を知ることで体調崩したりするんじゃないかと思う。呪いの儀式は大抵こっそりと行われるものではあるけど、その痕跡は見つからないと意味がないのだと思う。

で、呪った本人は「相手を殺すために自分の意志で色々やった」ことは分かりきってるわけじゃないですか。だから自分も「呪った事実」に呑まれる。

だから呪いたい相手に知られずに呪いをかけるのは、自分自身にはリスクしかないことだと思うんですね。

酒呑童子の呪いの言葉は山姥切国広の前だけで言っており、頼光たちは鬼になった酒呑童子と、桜吹雪として消え行く国広を呆然と見る三日月しか見てないわけです。あれでは「マジで鬼がいたんだ!」としか思ってないかもしれない。その前に歴史遡行軍を見てるからなおさら。

だから、酒呑童子が本当に復讐したかった当時の政府にはなんにも影響がなかったんだと思うんですよね。

歴史遡行軍は、今回の映画では審神者が生まれてこない世界にすることが目的だったから、酒呑童子の本来の目的とはズレたほうに誘導したんだと思う。それに気づいたから最後歴史遡行軍も消されちゃったんだろう。

自分が生きてたときとはまるで違う街の様子を見下ろして、酒呑童子自身も滅ぼすとか内心はどうでもよかったんじゃないかな。ただもう後には退けないところに来てた。

ほかの人の考察で、琴音ちゃんによる伊吹の説得は、「タケルくんを鬼にしないで、そんな子じゃなかったでしょう。」というボールを通して兄弟の記憶を共有したサイコメトラー琴音にしか出来ない芸当だったというのはなるほどなぁと思った。また、刀剣男士はあくまで刀で、物だから、人間の考えをどうこうしようとはしない、というのもなるほどなぁと思った。あくまで「物」、なわけですね。

やはりちょっと描写不足なところはあると思う。酒呑童子と伊吹のつながりとか、リンクしている部分はもっと描写してほしかったな。平安時代の酒呑童子も襲撃で弟だとか子供とかを亡くしたとかそういうシーンがあって、轢き逃げされた弟の亡骸を見て千年前の記憶がフラッシュバックするとかさ。虐待によって、都の者に虐げられてきた記憶がよみがえるとか。その辺が分かりやすいほうがより良かったと個人的には思う。

ただそうなると刀剣男士無関係シーンが増えるんですよねぇ。そうなるとそれはそれで批判があるだろうな。難しいねぇ……。

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