8/8 歌詞はまっすぐなラブレター

 あゆ、こと浜崎あゆみの過去の恋愛が暴露されているとして話題の『M 愛すべき人がいて』(小松成美著)を読んだ。

 わたしが一番あゆの曲を聴いていた1998-1999年、ちょうどその頃のことが書いてあった。あの頃のあゆの曲、好きな曲がいくつかあるのだけれど、それらは全部、あゆが愛する人に向けて書いた、ひたすらにまっすぐなラブレターだった。その頃のふたりの物語を知ると、歌詞は、もうなんというか感情も状況も駄々洩れで。あんなに気持ちをそのままのせた歌を、歌番組やライブで繰り返し繰り返し歌っていたら、そのたびに気持ちが溢れて、どんどん気持ちが大きくなっちゃうんじゃないか、と思った。

 この本を読んで、わたしの中で、今まで好きだったあの頃の曲に『あゆが大好きな人のことを想って書いて、大切に歌ってきた曲』という新しい一面がくっついた。

 歌の歌詞って、例えばラブソングなら、歌詞を書く人が、自分の中から過去のものだったり現在進行形だったりの恋心を取り出して、聴く人みんなに『自分のための曲だ』『わかる』って共感してもらえるように、気持ちを抽象化して、みんながどこかで体験していそうだったりありそうだったりするようなエピソードを探してディテールとして表現する、みたいな書き方をしているのだろうと思っていた。まさか、あんなに自分の体験そのままストレートに表現されていたなんて。歌詞を書く人、みんなそうなのかな。

 だとしたら、そんな作詞家さんの個人的な体験を紡いだ歌詞ののった曲を聴いた人たちが、『わかる』『これは自分のことだ、自分の曲だ』って感じるのって、なんだろう、すごい。

 みんな、人を好きになると、エピソードの細かい部分は違っても、同じような気持ちを抱いて、人の描くその同じような気持ちの世界に共感してる・共感できるってことだ。唯一の、と思っている自分の気持ちも、みんな、似たような気持ちを知ってて、自分と同じように抱えている。

 『Side M』も、読んでみたいな。このとき、どんな気持ちだったんだろう、みたいなことに興味がある。出ないのはわかっているけれど。

 あゆの『You』『Depend on you』『TO BE』『appears』等々の、あの頃から20年経ってるのか……20年!? そんなに!?

 子供の頃、歌番組が懐メロ特集ばっかりやるのを不満に思っていたけれど、今になってその理由がわかる気がする。そういうところは、しっかり大人になったなぁ……。最近の曲より、自分が青春時代に好きだった曲ばかり繰り返し聴く大人になってしまった。

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