8/29 『続けようとしない』を続ける

 ここ数年は、体を動かさないでも、汗をかくこと自体に疲れる。体力を奪われる。汗の排出そのものに、ものすごいエネルギー負荷がかかっている。それでかいた汗も、多分質がよくない、どろどろ系で。汗をかいたあとは、ひたすら眠くなる。「運動して汗かいて、爽やか!」という感覚が理解できない。そういう人たちとは、多分そもそもの体のつくりが違う気がする。と、前に誰かにそんな話をしたら「あきらかに運動不足だ」「日常的に体を動かす習慣をつけたほうがいい」と言われた。

 運動不足は、人に言われなくても、重々自覚している。前職を辞めてからというもの、通勤の往復や業務中の歩き回り仕事がまるっとなくなり、もともと体を動かすことがあまり好きではないのもあって、家の中の定位置をいくつか移動するだけの生活になっている。筋力がどんどん落ちていて、ちょっとした散歩や買い出しに出ただけで「これはまずいな」と危機感を覚えるレベルに体力がなくなっている。踏み出す一歩の歩幅の狭さや、脚の重さに動きのぎこちなさから、「どうにかしなければ」「運動しよう」とたしかに思うのだけれど、喉元過ぎればなんとやらで、一度家に帰ってしまえば、その危機感は頭のすみっこに追いやられてしまっていた。ただ、追いやっているだけで、完全に消えたわけではなく。「動けない体になって、困るのは自分だぞ!」と、ど正論で詰めてくる自分もどこかにいて。わかってはいるのだけれども、スクワットも、自己流ヨガも、なんとか運動の類も、続いても3週間で。体のリズム的にしんどいときに運動を休んでいると、その後復帰しなくなる、というのがいつものパターンだ。

 で。最近、運動することに関して、考えを変えた。『続けようとしない』ことにした。続けようとして、結局続かなくて、「まただめだった」と思うのは、精神的にもよろしくない。ので、いつぞにtwitterで見かけた『運動法や健康法は、見かけたそのときだけ1回やる』という方法を採用することにした。やったそのときに「体にいいことした!」という気分になれるし、やって気持ちがよかったり自分にあっていた方法は、自分が思い出したタイミングで気が向いたときに自ら進んでやる、というふうになって、何度かやっている方法は、「あ、この方法は気に入ったんだな」と体の方が教えてくれるような気がしている。そんなかんじで、絶対量としては全然足りないのだろうけれど、以前よりは体を動かしているつもりになっている。『続けようとしない』を続けて、少しずつ運動不足が解消できるといいなぁ、と思っているのだけれど、どうだろう。

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