8/17 価値やコストを考える

 おもしろい動画を見た。ピタゴラ装置とジブリとコントが合わさったような動画だった。感心しながらおもしろくて声を出して笑った。何度もリピートして見ていて、誰かに見せたい、と思った瞬間に、目が覚めた。夢だった。

 夢から醒めても、まだ夢と現実の境目があいまいで、あの動画をもう一度観たい、とYouTubeでそれっぽい単語をいくつか入力して検索してみた。けれど、サムネイルを見た限り、わたしの探している動画は見当たらなかった。

 少しずつ、夢と現実の境目がはっきりしてきて、でもまだ少し夢の世界の気配が残っていて。あの動画は夢だったんだな、現実ではないのだ、と気がついた。だとすると、あの動画を誰かに見せたいのであれば、わたしがあの動画を作るしかないんだな、と思った。そういうふうに思ったことが、今考えると、まだ夢から醒め切っていなかったんだな、と思う。さて、どうやって動画を作ろうか、とその算段を考え始めた。自分ひとりでは無理だ。ピタゴラ装置的なものをつくる人、ジブリの世界をつくる人、コント的なシーンの台本を考える人。それぞれの企画、設計、実際に手を動かして作る人。アイデアにスキル、それを実現できるだけの力を持った人、場所に人に時間に。膨大なリソースを投入するために、莫大なお金がかかる。とても、難しい。気がついた頃、やっと完全に夢から抜け出した。

 そうやって、自分が夢で見た動画を現実で再現しようと考えただけで、どれだけ大量の時間・人・金・場所が要るんだ、とくらくらしたのに。テレビ番組や映画なんて、どれだけだと気がついて、深追いして考えて、さらにくらくらした。民放のテレビ番組なんて、視聴はタダだ。セットだって大掛かりで、テレビマンの下っ端は薄給らしいけれど、出演者のギャラは高いと聞く。スポンサーがどれだけ払えば、あの世界が実現するんだ。映画だって、会員になっている映画館で鑑賞したら1本千円ちょっとだ。2時間ちょっとの映画に、どれだけの人、手間暇、お金がかかっているんだ。それを、千円ちょっとのチケット代や、円盤、グッズ代で、いくらお客さんをたくさん集めたからって、回収できるものなの? ……とかなんとか考えていたら疲れてきたので、それ以上は考えるのをやめた。つくる側の表現欲とか。もう、狂気でしかない、とか。自分で考えはじめたことに、自分で当てられて、ちょっと体調が悪くなってきた。自家中毒。そんな土曜日。

 起きてから数時間が経った今は、もう、夢で見た動画の詳細は思い出せないし、夢で見た動画の何がそんなにおもしろかったのかもわからないし、そもそも本当におもしろかったのかどうかさえ、自信がない。

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