5/22 マジカル自分

 『マジカルグランマ』(柚木麻子著)を読んだ。感想のような。とっちらかった読書メモのような。

 読む前は、主人公がおばあちゃんだという事前情報と『マジカルグランマ』というタイトルと、著者の『ランチのアッコちゃん』シリーズのアッコちゃんのイメージから、魔法少女ならぬ魔法おばあちゃん≒『主人公のおばあちゃんが、まるで魔法を使っているかのように軽々とまわりの人たちの様々な悩みや問題を解決していく物語』かと思っていた。けれど、全然違った。

 (以下、ネタバレあり? 注意)この物語の中で『マジカルニグロ』という言葉を初めて知った。『映画の中で白人の主人公を助ける、魔法のような黒人』。『物語を進めるための能力を持った黒人』とか『理想的な役割を押し付けられる特定の人種』とか。軽く調べただけで、まだあまり深く掘れてはいないけれどそんなかんじの意味で。映画の中で、黒人はそういう役割を押し付けられがち(だった)、という、皮肉とか揶揄とか批判とか差別とか、マイナスイメージなニュアンスを含んだ言葉だ。

 この小説のタイトルの『マジカルグランマ』の『マジカル』は、魔法おばあちゃんじゃなくて『マジカルニグロ』だった。つまり、『理想的なおばあちゃん像を押し付けられた主人公』。髪の毛が白くて、小さくて、かわいくて、いつもにこにこしていて、孫をかわいがっている。そんな、絵に描いたような『おばあちゃんの理想像』。ステレオタイプ。周囲が押し付ける理想像と、実際の本人とのギャップ。それが明るみに出たときに、今風に言うと『炎上』して。ただ、柚木麻子作品の主人公は、そんな逆境に素直に飲み込まれるタマじゃない。……と、そんな物語(説明する気があるのかないのか)。

 『こうあってほしい』という理想像。周囲に期待されている役割。いつの間にか自分自身にもインストールされて、そのように振る舞ってしまう自分の『あるべき姿』。『それら』と自分のギャップに落ち込んだり、本来の自分とは距離のある『それら』に寄せていこう、寄せていこうとして、気がついたときにはずいぶんと自分から離れていて息苦しくなっている、ということは日常によくあることのように思う。『マジカル自分』。理想を見すぎるとしんどい。

 『こうありたい』という理想の姿があって、そこを目指して頑張ることも素敵だけれど、まずは、そのままの自分でも大丈夫だと納得すること。理想を追い求めるあまりに自分をないがしろにしないこと。そういうのが大事だな、と思った。あと、他人にも理想やステレオタイプを押し付けない、その人自身をきちんと見ること。物事を、先入観や思い込みなしで、フラットに見つめること。……なかなか難しいんだよな。「あ、今変な見方してる」と自分で気がついて、矯正・修正していきたい。

 (ネタバレ!)中盤で、主人公たちがディズニーランドに遊びに行くのだけれど、ディズニーランドのアトラクションの描写が見事で。臨場感たっぷり。ディズニーに行く数日前に読んで、ディズニー行きが待ち遠しくなった。

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