『僕は僕を好きになる』が、嫌いだった僕の話

 初投稿です。どこに発信するか悩んでいたのですが、気になっていたツールだったこともありnoteを触ってみることにしました。右も左もわかって無いですが勉強しつつ、主に坂道関連で雑感・考察などをちょこちょこと!今回は乃木坂46シングル『僕は僕を好きになる』を聴いたオタクの心模様と純粋に曲のプレゼンです、乃木坂はあんまり詳しくないのでなんか的はずれなこと書いてたら「ちげーよカス」って優しく教えてクレメンス。
 
 僕は僕が嫌いだ。
 だからこそ周りの人の嫌な部分ばかり見てしまうし、好意や気遣いも素直に受け止められないんだと思う。「自分を愛さなきゃ人も愛せない」なんて歌詞を謳った人があった気がするけど、よく言ったもんだ。そんな斜に構えきった姿勢はいつからかわからないけれど僕に染み付いて僕を生きづらくしてる。そんな自覚はあったのだ。
 そんな僕にとって乃木坂46の枚目シングル表題曲『僕は僕を好きになる』はあまりに真っ直ぐすぎて、つらくて、正直繰り返し聴きたくはなかったのである。
 まずMVが解禁されてすぐにつべで聴いて、歌詞に注目した際にぞわりと鳥肌が立ったことを覚えている。あまりにも自分の心の深い一番繊細な部分が共鳴するようなことをこんなにダイレクトな歌詞で、またこんなにキャッチーな明るい爽やかなメロディで歌っていることに一種の恐怖を覚えたのだ。あとまぁ「そんなわかったようなこと簡単に言ってんじゃねぇぞ!!」というイラつきも若干あった。いやアイドルソング舐めすぎなのでは(あんだけ救われておいて……)ともあれ、初見で抱いた印象を例えるなら「急に距離感えぐい詰めてきて土足で踏み込みまくるよく知らん人」みたいな感じだった。純粋に秋元康やべぇなぁ、なんていうのも再確認した気がする。
 それっきりMVを見ることはあまりなかった。あっても推しの部分だけ見たりしてた。正直あのままならきっとこの曲にTVやライブなど以外でじっくり向き合うことはなかっただろうなぁと感じる。
 だが、否応なくこの曲を何度も聴く場面に出くわすのである。それは某コンビニでのアルバイトであった。CDをこのコンビニで予約すると特典がつくよ!というアナウンスとともにサビが流れるその広告は普段狂ったように清志郎(ジェリーというべきか)の某曲が流れているうちのコンビニバイトにとっては清涼剤のような存在ではあったのだが、いかんせん曲がどうしても気になる。それにやっぱり、メロディが良すぎる。好きすぎる。「ちゃんと聴いてみよう」と、思えたのである。
 ある時バイトが終わって家に帰り、もう一度MVを開いた。今度は歌詞を文字起こししたものを見て、じっくりと詩も味わいながら。やっぱりぞわぞわする気持ちはあったけど自分と向き合っている実感もあって、嫌な感じはしなかった。聴き終わる頃には普通にボロ泣きしてた。涙はデトックス効果があると言う。
 僕は昨年春から自分に対しての蟠りを抱えたまま新しい環境に飛び込んで、多くの人と出会った。そんな中で周りの皆は何か誇れるものを持っていたり夢を持っていたりで眩しくて、何よりそう言ったものをどうにも胸を張って語れない自分が大嫌いだった。人と付き合うことでそれが露呈するのが怖くて、「友達なんかいらない」「どうせ分かり合えない」なんて自分から距離をおいて。優しい人たちはいるけれどなんとなく自分の居場所だとは思えなかったのは、きっと見栄や意地が邪魔していたんだろうなぁと今ならわかる。そしてそのつまらない強がりをやめたいなんて思わせてくれたのもこの曲だった。
 一歩進んだ自分の一つのお手本とも言えるようなこの曲のおかげで僕は自分自身と向き合うことができた。今となっては毎日聴いている。そんな僕にとってこの『僕は僕を好きになる』を好きになることは、僕が僕を好きになる最初の第一歩だったのかもしれない。僕は初めて乃木坂のCDを買った。万人が共感できる歌詞なのかは今まで人付き合いに不誠実だった自分には計りかねるけれど、絶対に刺さる人にはぶっっっっっささる。全世界MV五兆回見てほしい。ワイはあと五千兆回は見てくる。スクロールおつです、では。

​https://youtu.be/F_WgREJgJhw

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