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怒りの感情を持ってしまった話


無責任な人が多いなと感じる日々です。
「頑張りすぎないで」「いつでも休んでいいよ」「今日はやめておきな」

耳に心地の良い言葉を並び立てて、結果大変になった時は一切助けてはくれないのです。

SNSでもそのような言葉ばかりを聞くようになりました。巷の当たらない占い師の取る方法と同じなような気がしてなりません。

これは新たな文化ともいえるほど広く浸透しています。

無責任な言葉で放棄と逃避に起きる、気まぐれな偶然を奇跡と呼ぶことで、運命と呼ぶことで自らを甘やかすことが正義となるのであれば、資本主義から撤退すべきではないかと思うのです。

頑張ることは悪い事ではありません。
正当でない努力を強いられる事を「頑張りすぎ」と呼んではいけないと思います。

ブラック起業で働くというのは、働いているのではなく、搾取されているのです。
働くことは悪ではありません。悪は搾取です。

心身を病むような正常な判断ができない状態で、その人の行動は本当に努力や頑張りなのでしょうか。

多くの努力をした人達にあやかって、大した努力もしないで、愚痴だけを言っている人が自らの怠慢を正当化することが気持ち悪くて仕方がないのです。

曖昧にすることで甘い蜜を吸っていることに慣れて
正しくものを見られなくなり、愚痴と意見を取り違え、提案と押しつけを取り違え、反論と他者否定を取り違える。

そんな人間が、正義を振りかざすことに怒りを持ってしまいました。

最近感じていた、強い不快感と怒りについての再考メモでした。

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