【Vol.3】成田誠治郎 帝国海軍従軍記

この記事、連載は...
私の母方の祖父である故・成田誠治郎が、帝国海軍軍人として従軍していた際の記録を元に再編集したものである。なお、表現などはなるべく原文のまま表記しているが、読みやすくするため、一部を省略、追記、改変している部分があることを予め了承願いたい。

晴の入団 ~いよいよ海軍入団~

○昭和14年5月30日

前日の夕食時には、親戚の人たちが10人位来て、晴の入団祝いの祝宴をしてくれた。
この付近では海軍入団は初めてで、父も世間に対して顔向けが出来ると笑顔で接待していた。母も病気しないで立派に勤めてこいと励ましてくれた。

私は夕食を早々に済ませ、明日駅前で皆様の前で見送りの方々に御礼の挨拶する原稿を見て何回も練習したが、うまく言えない。
明日は只元気で行って来ますとだけで済ませることにした。

家から駅通りを、のぼり旗を先頭にして町中を行進し、道中知人からも色々声をかけてもらった。
駅についてみると大勢の人でごった返していた。
私と同じ列車で行く者は、伊藤清(久保田町)、石田三男(古渡路)の3人であった。

駅前の広場で一段高い台の上に立ったらあがってしまい、なかなか文句が出ないので、例の如く大声で“元気で行って来ます、どうも有難うございました”で終わった。

後で聞いたが同列車で海府より一人乗ったとのこと。
学校では小学校4年生以上の生徒が七湊の踏切まで並んでおり、ホームには弟の昭五、昭六、七良が私の乗る列車の前に並んでいた。
先生方は横山七良、河内謙二郎、佐尾直二郎、入岸彼茂次、木村善三、高宮ハル、本間ハルの先生方が見送ってくれた。

いよいよ列車が入って来たら急にやかましくなり、父は早く乗れと言ってくれたが、混雑の中から出るのがやっと。
もみくちゃになってようやく中に入り、窓際から顔を出しておもいっきり観衆に大手を振っている内に列車は発車したが、速度は遅くなっているので、踏切までは大分かかった。
沿道は日の丸やのぼりの林であった。

長岡駅で所々で入団者が乗って来て、長岡駅で降りた者は35、6人で、揃って護国神社へ行ってみると参集した者は100人になっていた。
夕食はまたにぎり飯を食べて少し休んで、9時過ぎに長岡駅を出て、朝9時に鎌倉についた。

続いて旅館に入ったが、皆新潟県出身と知った。
他の者は皆年上の様に見えて心細くなって来て、父から色々話を聞くが、さっぱり頭に入らない。
夜は不安が先立ち2~3時間より眠れなかった。

旅館からは古参兵の引率で電車に乗り、横須賀についてみるとすぐ軍港があり、軍艦が沢山岸壁に保留されているのを見て心強く感じた。
また、駅の向かい側には海軍工廠があり、リベットを打つ音がやかましく聞こえてくる。
この工廠の巨大な鉄構及びクレーンは横須賀のシンボルで、軍艦を造る大工場である。

駅からは左また左と曲がって歩いて行くと、横須賀鎮守府前を通って広い直線道路を500米も行くと海兵団である。
父と一緒に大勢の人に混じって正門を通り左側に衛兵が着剣してにらみつけていた。

志願兵集合所へ行くと家族と分離され、私服の姿で身体検査、適正検査を無事通過して、軍装品を自分に合うものをもらい、着替えをして一応海軍兵の姿になったところで、私服類を父に渡し、私の晴れ着姿を父が見て喜んでいた。

30分もしたら家族と最後の別れをして分隊毎になり、父は目が悪いので、しばらく私の方を見ていたが納得して私の荷物を持って団門を出たそうだ。

家族と別れてからは当局態度が一変して、高姿勢でマゴマゴするなの大声。
お前達の命は天皇陛下に捧げたのであるからと言って、要するに我々が預かると釘をさす。

昼食には赤飯と鯛の塩焼を食べ、教班毎に食事を行い、入団第一夜は極度に疲れていたのでよく眠った。

新兵教育中は、夏季のため午前中は学科授業で、居眠り、空腹、暑さには皆一同苦労し、分隊内で一人でもヘマをすると全員罰直撃を受け、苦痛の毎日であった。

教員が私達を見て気合が抜けていると見るや全員に駆足をさせ、遅いものはもう一回。
私はこれには弱く大抵2回は走る。

軍人は要領を本分とすべしということを聞く。
実は入団の適性検査で片手懸垂があって左右の手で2回行うが、右手はよいが左手はダメと分かったので、試験官に見えないように左親指を中に入れて他指で押さえてやり、無事通過したのである。
本来は不合格になったかも知れない(内緒)。

教練の中で銃剣術の得目があったが、学校時代剣道を得意としていたので、めったに負けなかった。

入団して一週間目に、教班長より成田は今日から俺の教班長係をしてくれと頼まれた。
喜んで引き受け、班員の食事、衣服の手入、靴下、作業服の洗濯までやって点数をあげた。

教班長は東北の方で、妻子も横須賀に居た様であるが、退団後は二度と会う機会がなかった。



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成田誠治郎 帝国海軍従軍記

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