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30歳で退職して夢(プロゲーマー)を追いかけるのはイタいことですか?『三十路病の唄』

【レビュアー/工藤啓

若さというバフを失っても

三十路のたまりば、高校時代の同級生6人が、自分の夢の遅咲きを信じて頑張ったり、頑張らなかったりするシェアハウス「せんたく船」。

私たちは毎年一つずつ年齢を重ねていく。保育園や小学校に通っているとき、私たちが語る未来は自由だった。

プロサッカー選手、ユーチューバー、お花屋さん、パティシエ、そこに到達できるかどうかなど誰も気にしない。自分自身も、道がありたい場所につながっているのかなどどうでもいいことだ。あるとき、ある瞬間に、将来の希望、未来の夢が生まれ、そこを目指すために行動する。

それが「若さ」なのかもしれないが、誰もが「若さ」というバフ(利点)をいつかは失う。

30歳は、なんとなく「若さ」の区切りだろうか。日本には「若者」の年齢定義は特に決められていない。2000年代に入り、若者も困るということで政府は重い腰を上げた。当時の政策ターゲットは、学校を離れフリータとして暮す若者だった。政策対象年齢やだいたい20代。

少しずつターゲットが広がりを持つなかで、政策対象年齢も広がった。15歳から概ね30代と、大枠で39歳までがいまは若者だ。

ただ、30代にとって自分たちが若いという感覚はあまりないのではないか。20代となり、学校を卒業して、「働いている」ことが当たり前の雰囲気が生まれていく。

新人だった時代を通過し、20代の後半には職業キャリアが積み重なり、役職責任がつくこともある。パートナーや子どもとの生活が始まることもあるだろう。

若さの区切りが手渡されたような感覚になるのが30歳だ。バフが消失する。

若さのバフが亡くなっても、30歳という年齢を迎えても、私たちは未来への希望、心のどこかにくすぶっていた夢を、再び追いかけてはいけないということはない。

親や周囲は、あきれたような顔をするかもしれない。批判ともとれる言葉を投げつけてくるかもしれない。あのとき、こうなっていたいという将来像を封印して、それはもう開けてはいけないものと鍵をかけた人間たちは、心配や嘲笑するフリをして、自分を正当化しないと苦しいのかもしれない。うらやましいのかもしれない。

外側から石しか投げられない人

30歳、プロゲーマーを再び目指す男性「ラスボス」は、会社を辞め、シェアハウスに引っ越してきた。退職理由に対して、職場の人たちからは「このひとは痛い人間だ」という表情で「まっ 頑張ってください」をエールを送られる。

嫌なやつと思いながらも、自分の起こした行動への言葉に、わからなくもないと客観視できてしまうのも積み重ねた年齢がなせることだ。

目の前にいる日本ランク一位、世界ランク五位のプロゲーマーは16歳の現役高校生。ゆるいゲーム大会のゲストである彼らを見に来たラスボス。もちろん、やみくもにここを目指すほど彼は無邪気ではない。

日本のトップがどのような戦い方をするのか、自分の現在地はどこにあるのかを見極めに来たのだ。会場には自分と同じ年齢は見当たらない。

プロゲーマーとの対戦企画に、会場からは手はあがらない。プロとの対戦はお金を払ってもできないにもかかわらず、そこにいる誰もが小さなプライドを守るため、対戦しなくていい理由を探す。

30歳のラスボスも同じ。いや、むしろ、初めから「戦いに来ていない」ことをはっきりさせていた。しかし、ラスボスの手があがった。会場まで運転をしてくれた友人によって手をあげさせられた。

開始早々、一戦目を落とす。

そのとき、プロゲーマーから問いをつきつけられる

「ラスボスさんはプロ志望なんですか?プロ目指されてます?」
「・・・はい」

それを聞いて16歳が本気モードに入る。表情が変わる。そして格闘ゲームでダメージを一切与えられないまま30歳は完敗する。

司会は目線を下げ、会場は白けたような静まりを作り、一緒に来た友人は、本気の表情のプロゲーマーを改めて見る。

ネットで配信された画面のチャットには、視聴者からの辛辣な言葉が並ぶ。リングにあがらない人間たちのたわごとだ。

プロゲーマーは、プロを目指す30歳と対戦した感想を述べる

「えっと・・・はい あのー・・・ プロを目指しているという事で・・・あの 頑張ってほしいと思いました・・・ 少なくとも 外側から石しか投げられない人よりずっと強くなると思います

喫煙所でひとりたたずむラスボスのもとに友人が来る。強いことはわかっていた。勉強になった。プロは違う。違いを実感した。自分の実力が・・・。

友人が聞く。

「で?」「負けてどーなの?」

ラスボスが言う。

「くっっっそ悔しい」
「勝ちたかった」
まだ悔しいって思えた まだ頑張れる

三十路病とは何か

プロゲーマー、ミュージシャン、芸人、自分の店を持つ、小さい頃からの夢を30歳になっても追い続ける、30歳になってから再び目指す。

私たちの社会には、年齢の不安を感じながら、感じないふりをしながら、希望を捨てきれず、夢を追いかけているひとたちがたくさんいるはずだ。

そして、その何十倍も、その行動を否定、中傷して、小さな自分、あきらめた自分を正当化しようとするひとがいる。

シェアハウス「せんたく船」は、そんな30歳が、頑張ったり、頑張らなかったりする姿を通して、30歳という年齢が置かれた社会的、経済的な状況を描く。

楽しいことも、面白いこともある。不安や戸惑いもある。周囲からの痛い視線、辛辣な言葉もある。

しかし、彼ら・彼女らは孤立していない。孤独なことはあるだろう。しかし、孤立していない。傷をなめ合っているように見えているが、仲間を応援することで、自分自身も応援されている。

本書は、読み手の感情を大いに揺さぶる。三十路という、若さのバフを失ったひとたちを見て、それを「病」ととるか、別の視点を持てるかは、読み手次第だ。

私は、三十路病は、どんな状況であれ30歳を越えた人間が、自分以外の他者の行動を見て、自分の方がマシであると、うまくいっていない、うまくいかない粗を探さざるを得ない「病」ではないかと感じている。

これから先の展開次第で、三十路病とは何かが明らかにされていくかもしれないが、現時点では、その病の意味は読み手に委ねられているとみている。