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嘲笑、失笑、罵倒、不安…限りなく現実に近い描写が、30歳で夢を諦めた僕の心をざわつかせる『三十路病の唄』

【レビュアー/おがさん

夢は何歳からでも見られるという趣旨のレビューを過去に書きました。専門的知識も無料動画で得られるようになり、個人で発信できるメディアも増えたからです。しかし、そこには一つ前提があります。

趣味の範囲であればという前提です。

趣味の範囲を超え、生活基盤として生計を立てるレベルを目指すと途端に難易度は変わってきます。それなりの年数と継続的な努力が必要となるため、早く始めるに越したことはありません。20代で始めるのと30代以降で始めるのとでは、周囲の反応は大きく異なります。応援はいつしか心配や嘲笑に変化していきます。

今回レビューする河上だいしろう先生の『三十路病の唄』では、30歳から夢に再挑戦するリアルが描かれます。

30歳からのリアル

高校時代の同級生6人が意気投合し、30歳から遅咲きの夢に向かって足掻くためにシェアハウス「せんたく船」で共同生活を始めます。

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『三十路病の唄』(河上だいしろう/芳文社)より引用

プロゲーマー、ミュージシャン、お笑い芸人、自分のお店を持つこと・・・。

これが20代の話だったら、とてもキラキラしたものになったはずです。某テレビ番組のようにお互いに夢を語り合い、時には恋愛しながら青春を謳歌するのでしょう。しかし、30代からのリアルは違います。

30歳を過ぎてプロゲーマーになることを決意したラスボス。部屋の中にあったケーブルを何に使うか聞かれ、シェアハウスを出る時に何も結果が出せなかった時の用途を答えます。

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『三十路病の唄』(河上だいしろう/芳文社)より引用

もちろん夢が破れたからと言って首をくくる必要はありません。それでも趣味の域を超えて仕事として生計を立てる為には、人生を賭ける覚悟が必要であると思います。

この1コマに凝縮されたリアル感が、筆者が本作にのめり込むきっかけになりました。

叩きつけられる残酷過ぎる現実

本作で描かれる現実は容赦ありません。ヒリつくほどにリアルで手加減なしで打ちのめされます。

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『三十路病の唄』(河上だいしろう/芳文社)より引用

圧倒的な才能を前に自分の才能の無さを思い知らされたり、成功した先輩から辞めろと言われたりします。やりたい仕事とやりたくない仕事で悩む者もいます。

嘲笑、失笑、罵倒、襲いくる不安と才能の壁。

それらが余すことなく描かれており、30代で夢を目指すリアルさが群を抜いていると思います。というのも、筆者自身が30歳でやりたかった夢を諦めたからです。当時の周りの反応と描かれている現実は相当近かった。

30歳を超えると、希望だけを持って夢を語ることが難しくなります。現実と折り合いをつけながらも、どこか胸に燻る想いを持った登場人物たちを応援せずにはいられません。

頑張らないことに頑張る、異色の存在ムッシュ

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『三十路病の唄』(河上だいしろう/芳文社)より引用

他の同居者と大きく異なるのがムッシュの夢です。特定の職業に就くことが夢ではなく、「楽して金持ちになること」を目標にしています。楽して金持ちになるという事は、誰もが一回は思い描いたことのある夢物語だと思います。それを本気で実現する事は、ある意味一番難易度が高いかもしれません。

頑張らないことを頑張るためにも努力は必要です。現実世界でもFIRE(経済的自立と早期リタイア)を目指す若者たちと重なる光景です。けれども、早期リタイアした後も人生は続いていきます。ムッシュがお金を得た(もしくは得られなかった)後に何を目標とするのかは本作で気になる要素のひとつです。

そんなムッシュの存在が示してくれるのは、夢は必ずしもやりがいをベースにする必要はなく、お金やその他の価値観で選んでも問題ないという多様性ではないでしょうか。

私たちは夢に生かされ、そして殺される

今のこのご時世では、やりたい事が明確にある方が珍しいのかもしれません。それは「幸福がすごく身近になったから」とも言えます。低価格のサブスクリプションサービスで映画や配信動画が観られるようになり、家から出ることなくオンライン上で様々な体験が完結できるようになりました。

人は何かを望まなければそれなりの幸せを教授できるのです。

それでもどこか満たされない日々を過ごし、覚悟や諦めきれない夢を背負って足掻く「せんたく船」の住人たち。

夢という名の希望に生かされながらも、その夢の重圧に押しつぶされ、下手したら夢に殺されそうな綱渡りの生活を送ります。

その先に見える景色は絶望なのか、希望なのか。『三十路病の唄』は最後まで見届けたいと思う作品です。