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想いに惑い、惑いに憂い

消しゴムマジックすげぇ。
映り込んでしまった人を消せるなんてチート能力すぎる。

マクドナルドの店長をしていたりお芝居をしていました。
現在はワークショップで講師をしてみたり、舞台の裏方でお手伝いしてみたりしています。

その上で非常に思うことがあります。

人とのコミュニケーション、ムズすぎ問題


伊勢神宮・外宮


持論を話します。
コミュニケーションが苦手な人は頭の中で他人と自分を考える割合が他人:自分=7:3以上なんじゃないかなという気がしています。
これは会話の割合ではなく、頭の中でどちらに重きを置いてるかという話で、逆にコミュニケーションが上手な方は4:6〜5:5程度で推移している印象です。

僕はコミュニケーションが下手です。

上の持論に当てはめて考えた時、自分は相手の事を考えている割合が多いという事になります。

相手の事を考えるとはどういうことでしょうか。あまりに漠然としているので考えてみようと思います。
会話が発生した時、相手は、その会話を拡げるのか閉じるのか、自分のことを話したいのか議論がしたいのか、声のトーンや抑揚から判断しようとするかと思います。その時に考えるのは相手の事です。ですが、ここで考えたことを元にしてこれからの行動を決めていくので同時に自分のことも客観視する必要が出てきます。こんな会話ならこんな返しかな、逆にこの話をしたら相手は乗ってきてくれるかな、どれくらいの声のトーンで、抑揚で話そうかな。
相手と自分を考えるこの絶妙な割合がコミュケーション上手に必要な要素だと思っています。

翻って自分の事を。
相手から話しかけられたらまず考えるのは、何故相手は自分に話しかけてきたのだろうか。すごく気を遣わせてしまったのではないだろうか。これはどうにかして盛り上げた方がいいのか。楽しくなってもらったほうがいいのではないだろうか。

そんなことばかりが頭をよぎります。
相手の事を考える割合が高いとは書きましたが、相手というより、相手の感情や態度のことばかりを考えてしまうことが多いのです。当然のことながらそこから汲み取れる情報は、あくまで自分が勝手にした妄想や憶測の類に過ぎないので当たっているかどうか、相手に確かめない限りわかりません。

そう考えた時に上記の持論をより厳密に言うならば、コミュケーションが下手な人(私)は、『相手』のことを考えているというより、『相手の目に映っている自分』が相手を不快にさせていないか、考えても答えが出ないことを延々考え続けている、という事になるのかも知れません。

なんでこんな事を書くに至ったかというと、まさに今日それを考えすぎて食事会をキャンセルしてしまったからです。タイムリー。


かわいいツバメ

とある舞台のお仕事をさせて頂き、終演後のお客様との歓談の時間。
顔見知りや仲間もいたので話をする機会がそこかしこで生まれたのですが、どうしたことか、いつも以上に相手にどう思われるかを考えすぎてしまうのです。
で、これについて補足すると、やりたくてやってるというよりは勝手にそういう風に頭が働いてしまうんです。なので、意図して止めようとしても止まらないと言いますか。
勝手にどんどん思考だけが独り歩きしていってしまうんですよ。
これが結構しんどくて。自分の考えたことに自分で傷付くというデバフがかかるんです。体内で毒を精製してその毒で苦しむみたいな。

で、こうなってしまうと人と一緒にいる限り止まらなくなるのです。
かつ、この状態で人と話し続けてるとどんどん態度が悪くなっちゃう、と言うか気分が悪くなっちゃうんです。で、人と極力話さないモード、話しかけないでモードに移行しちゃう。
傍から見るとただ感じ悪い状態。

で、こうなることを回避するには人から離れるしかない、だからといってこれを1から説明することも憚られるし説明したくもない。(そもそもこのモードでは説明したくても出来ない位にしんどい)
なので、コソッと抜けて、主催メンバーにだけメンタルしんどいとだけ伝えて逃げ帰ってきました。

定期的に起こるんですよね、これ。
ここ最近は久しく起こってなかったんですが、何故起こってしまったのか。実は何となく原因みたいなものもわかってる気がしますが、それはまた別の話。


碧志摩メグちゃん

書き続けて思いましたね。

コミュケーションムズすぎ問題

というか

俺のコミュケーション能力が異常が故のムズすぎ問題

でした。


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