下記記事に対する感想――ガルパン最終章のシナリオにおける問題は「構成」にあると個人的に思ったけど、やっぱりガルパンはいいぞ、と思った件



(※上記のももさと様の記事に対するコメントが制限文字数を上回ったため、そちらをまるっとコピペしたものが以下になります↓)

はじめまして。ゲン・ザ・ボマー(改名検討中)と申します。
もう2ヶ月以上も前になるみたいですが、
どこの馬の骨ともしれないライター崩れの私をフォローいただきありがとうございます。

さて、ガルパン最終章第二話についての分析記事、興味深く拝読しました。
主人公である西住みほの動機が薄いという分析について、私も同意見です。

「お世話になった先輩の退学を免れるため」というフワッとした動機では、
お話の受け手としては共感しづらいですよね……。
そういう意味で「(シナリオ上の)欠点がある」と仰られたのは
あながち間違いではないと思います。

ただ、そのうえで私が鑑賞時に抱いた感想は若干違っていて、
それは一言でいうと
「河嶋桃の家庭のエピソードは第一話の序盤で描いておくべきだったんじゃないか」
ということになります。

第二話で描かれた桃の家族のエピソードでは、
 ・桃は貧乏な文房具屋の長女で、母は病弱である
 ・桃は幼い妹や弟たちの面倒をおそらく一人でみている

という事情が描写されており、
桃が家庭の事情で受験勉強に割く時間がなかったことがわかります。

このエピソードが描かれた時点で
「いや、受験勉強しろよ」というツッコミが入り込む余地がなくなり、
また桃が十分に同情に値する人物であることがわかるので、
「お世話になった桃先輩をなんとしても助けてあげなくては」という
強い動機づけが生じると思うのです。

しかし、これは先に述べたように第一話の、それも序盤の時点で描かれるべきでした。

逆に言うと、上記のエピソードが第一話の序盤で描写されていなかったがために、
「なんでそうまでして桃を助けなきゃいけないんだ? 自業自得だろ?」
という違和感を観る側に抱かせたまま進行するという、
シナリオとしてはあまりよろしくない構成になってしまっていました。

「動機不足による主人公への感情移入の阻害」という問題を
第二話の中盤まで放置してしまったこと。
それが『ガルパン最終章』の拙かった部分かなぁと個人的には思う次第です。

つまり、一言でいえば「構成」に一番問題があったのではないかと思うのです。

ただ私は脚本の吉田玲子先生の熱心なファンでして、
最終章1話では上述の問題もあり感情移入しきれなかったものの、
2話でそれが解消されて以降の怒涛の展開には大満足というほかなく、
鑑賞後は「ガルパンはいいぞ……」という感想をもれなく抱いたのでありました。

「欠点」を改善する努力はもちろん大事ですが、
欠点を補って余りある面白さを追求する努力も続けていきたいものですね!

長文失礼いたしました。

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