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首都大学東京という名称について

首都大学東京という大学名について皆さんはどう思ってますか。

筆者の周りの人たちの意見では、

「変わった名前」
「Fラン大学みたい」
「正直、外部の人に大学名を言うのが恥ずかしい」

と悲しいことが言われてしまったり※1、世間的には、

「首都大学東京って私立大学?」
「なにか特殊な学校?」
「東京都市大学ができて、余計にややこしくなった。」

と、そもそも公立大学であるということへの認知すら危うい始末です。

(※1 一方で、在学生の中には首都大学東京といつ大学名に対して愛着を持っている人も、もちろん一定数います)

筆者も、知り合いや親戚から通っている大学名について尋ねられたときは「首都大学東京に通っています。」と答えたあとに必ず、

以前は東京都立大学という名前だったんですよ。

と必ず付け加えるようにしています。

なぜなら、そう言わないと相手に正確に自分が通っている大学について伝わらないことが多いからです。(ちなみに学部については、都市教養学部都市教養学科の形骸化に対する皮肉を込めて、最初から人文社会系ですと言ってます。)

いずれにせよ、なにかとネガティブに捉えられがちな大学名ー首都大学東京。

ではなぜ、このような事態になってしまったのか。

今回の記事では、この「なんでうちの大学名は”首都大学東京”とかいう変な名前なんだ問題」について考え、まとめてみました。

まずは、首都大学東京という大学名が誕生した経緯について話したいと思います。

新大学名が「東京都立大学」となる余地はなかった。

まず前提として首都大学東京は、今から13年前の2005年に、それまで東京都が設置していた4つの公立大学(東京都立大学、東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学)が統合される形で新たに設立された大学です。

さて、ここで統合された4つの大学の「大学名」に注目してみましょう。

「東京都立」大学
「東京都立」科学技術大学
「東京都立」保健科学大学
「東京都立」短期大学

当然ですが、東京都が設置していた公立大学なので4大学全ての名称に「東京都立」の文字が含まれています。

ですので4大学統合後の大学名についても、一般の人にも分かりやすくシンプルに「東京都立大学」でも良かったはずでは、と筆者は思っていました。

しかしこういった考え方は、当時「都立の大学改革」を主導していた石原都知事には通用しませんでした。

なぜなら石原都知事は、大学改革に自ら着手する直前に行われた2003年の都知事選(2期目)において、

「今までにない全く新しい大学を作る」

という公約も掲げた上で、都知事に当選しているからです。

ここで、

“新しい大学”

という言葉に注目してみてください。

当時の石原都知事にとって「都立の大学改革」というものは、「自身が公約で、都民に約束したこと」を実現するためのものでもありました。

しかし、従来の4大学を統合して新たに設立した大学の名称が「東京都立大学」では、いかにも“新しい大学”を設立したという響きが出ません。

そこで、

“日本の首都「東京」から、今までになかった全く新しい大学を作り出す”

といった印象を強調するために、新しく産声を上げる大学の名称が「東京都立大学」となる余地はありませんでした。

それでも「東京都立大学」が圧倒的支持を得た

さて「新しい大学」の設立のためにふさわしい名称はどうするべきか、これに関して東京都は、首都大が開学する約半年前の2004年9月に「大学名の公募」を実施しています。

ここに、その公募の結果をまとめてみました。

全公募数4047件、内名称数828種類

1位 東京都立大学(2604件/約64%)
2位 都立総合大学(110件/約2.7%)
3位 大江戸大学(33件/約0.8%)
4位 首都大学(31件/約0.8%)
5位 東京都市大学(30件/約0.7%)※
6位 東京都大学(28件/約0.7%)
7位 東京メトロポリタン大学(28件/約0.7%)
8位 東京総合大学(21件/約0.5%)
9位 東都大学(19件/約0.5%)
10位 東京首都大学(16件/約0.4%)

他、新東京大学、未来大学、東京都立総合大学など。
(○○%は、全公募数に対する割合)
※公募当時、本家東京都市大学はまだ武蔵工業大学という名称でした。

さて、ここで見て分かるとおり「公募」というやり方による新大学の名称は、従来の「東京都立大学」が圧倒的多数の支持をされていたことが分かります。

しかし東京都による当初の公表では、この公募の結果の一覧から「東京都立大学」という名称が除外されていました。

なぜなら「新大学にこれまでと同じ大学の名称は認めない」という石原都知事の方針のもと、「東京都立大学」という名称は、新しい大学としての名称としては「ふさわしくないもの」として分類されていたからです。

そして「実は東京都立大学という現状維持の名称が、公募において圧倒的多数の支持を集めていました。」という事実が公に明らかになったのは、首都大学東京が開学してからわずか約2ヶ月後のことでした。

公募による名称案にはなかった「首都大学東京」

さて、ここでもう一度公募の結果を見てみてください。

全公募数4047件、内名称数828種類

1位 東京都立大学(2604件/約64%)
2位 都立総合大学(110件/約2.7%)
3位 大江戸大学(33件/約0.8%)
……

公募の結果、828種類にも及ぶ大学の名称案が寄せられました。

しかし、そのなかには「首都大学東京」という名称の案は一つも含まれていませんでした。

つまり正式な大学名の決定にあたっては、公募の結果をあくまで「参考」しただけで、その公募の多数の案の中に含まれていた「首都」「東京」「都市」といったキーワードから石原都知事は「首都大学東京」という「造語」を考え出したというわけです。

どうやって「首都大学東京」という名前が誕生したのか。

ではなぜ、当時の石原都知事は「首都大学東京」というような変わった綴りの大学名を造り出したのでしょうか。

これに関しては現時点では正直、筆者は明確な理由にたどり着くことができていません。

それは、その大学名を考案した”石原慎太郎”という人物そのものの思想・信条を深く知り、また(史料があるのかどうか分からないが)当時の都の記録を調べなければ、明確な理由を見いだせないと思っているからです。

要は筆者の知識不足です。

ですので、ここではあくまで筆者が今までインターネット上の複数の資料を読んだ結果、大学名を考案する上で石原都知事が根拠とした可能性が高いものを2つだけ取り上げてみました。

①アメリカの産学連携型大学をモデルにした。

2005年に「都立大」から「首都大」へと変わったとき、その特徴として大きく変わったことは「大学が、東京ひいては日本の産業の活性化に活かすこと」、つまり”大学の産学連携化”です。

そしてこの産学連携型大学への改革の参考として石原都知事はアメリカの産学連携型大学をモデルにしているとされています。

ネット上ではその大学が、アメリカの州立(つまり公立)大学であるカリフォルニア大学とされています。このカリフォルニア大学は10の大学から構成される大学の集合体であり、

カリフォルニア大学バークレー校
カリフォルニア大学ロサンゼルス校
カリフォルニア大学サンフランシスコ校
……

など、どことなく「首都大学東京」の綴りに似た大学名になっていますね。

ですので石原都知事はこの大学名の綴りにインスピレーションを受けた可能性が考えられます。

…と一応書いてみたのですが、筆者としてはこの説、正直自信を持って言うことができません。

なぜなら筆者が読んだ本では、

…都立の大学を束ね、研究成果・人材を活用して、シリコンバレーとスタンフォード大のような連携の体制を作り、東京・日本の産業全体の活性化に資するという構想を示した。

と書いてあるからです。

ここで名前が挙げられた「スタンフォード大」は同じくカリフォルニア州にある大学ですが、カリフォルニア大学とは違い私立大学であり、またスタフォード大学○○校という大学名もありません。

ただ、スタンフォード大学とカリフォルニア大学はどちらも「産業連携型大学」であるということに違いはありません。

ですので、私が読んだ本に記述がないだけで、石原都知事がカリフォルニア大もモデルにしたということは十分に考えられます。

(以下2段落は若干ネタ要素)
ただ、日本の総面積を軽く越え、一国家規模の面積を持つカリフォルニア州が、州内に散らばる州立大学に対して大学名の後ろに○○校という名称をつけるやり方は理解することできます。

しかしこのような大学名の考え方を、遥かに小さい一都市・東京に輸入したとろで、ちょっとムリがある気がします。(そもそもこの考え方にそって大学名をつけるなら、むしろ「首都大学南大沢」「首都大学日野」「首都大学荒川」のほうが正しい。)

②当時の石原都知事が、首都機能移転に断固反対していた。

さて①と比べてこの根拠は、筆者としてはより関係があるのではないかと考えています。

というのも石原都知事は1999年の都知事選(初当選)において、東京の首都機能移転問題について「絶対反対」という公約を掲げて当選しているからです。

首都機能移転に対して、都知事が日本中に「日本の首都は何が何でも東京である。」ということをアピールするために、そしてこれからも「日本の首都機能が移転するという余地を与えない」ために、都立の新大学の名称にあえて「首都」と「東京」という二つの単語を一緒に盛り込ませた、ということが考えられます。

そうでなければ、そもそも「日本の首都が東京」だということは日本人、ましてや外国人にとって「常識」なのであるから、わざわざ大学名に「東京」と「首都」を並列させるような必要はないと思います。

(厳密な意味での首都が東京なのか、という問題についてはここでは議論したくないので無視してください。)

そこをあえて並列させているということは、「首都大学東京」という大学の名称には「首都機能移転反対」という石原都知事の考え方が反映されている、という根拠も十分考えられるのではないかと思います。

「首都大学東京」という大学名は結果的には成功した?

では首都機能移転に反対していた立場を大学名に反映させたのなら、公募の結果の第10位にその名を連ねた「東京首都大学」でもよかったのではと思ってしまいます。

しかし、くどいようですが当時の石原都知事が求めていたのは、

「今までにない全く新しい大学をつくる」

ことです。

「首都大学東京」を誕生させる前年に、同じく石原都知事に手によって「新銀行東京」という日本の銀行で唯一”末尾が銀行で終わらない銀行”を誕生させたことを考えると、当時の石原都政の過程で行なった諸々の改革のなかで「都立の大学改革」についても“石原色”を出すために、あえて「首都大学」の後ろに「東京」という文字をくっ付け、

「(ある意味で)今までにない全く新しい大学をつくった」

ということが十分に考えられると思います。

(ちなみに石原慎太郎は「作家」でもあります。作家としての創造性を発揮したからこそ「首都大学東京」というようなユニークな綴りの大学名ができあがったとも言えるのではないでしょうか。)

ともあれ、みなさんもこれまで生きてきて色々な大学名を聞いてきた中で、初めて「首都大学東京」という名前の大学を知ったときは「なんだこの大学は!?!?」と驚いたと思います。

そして明日からセンター試験を受ける受験生の中にも、おそらく「首都大が第一志望!!絶対合格!!」と思う一方で「首都大って変な名前…」と、ある意味で自己矛盾を抱えたまま本番に臨む受験生がいるはずです。

そういった“大学名の奇抜さ”という点から言えば、石原都知事が行った「今までになかった全く新しい大学を作る」ための大学改革は、(その実態がどうであれ)ある意味では大成功したと言えます。

さて、ここまでは「首都大学東京」という名称ができた経緯について書かせていただきました。

今後「首都大学東京の名前は変えるべき?」という記事を書くかもしれないので、そちらのほうも是非読んでいただけたらなと思います。

長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

(以下、余談ですので読まなくても構いません。)

首都大学東京の英語名、知ってる?

首都大学東京の英語名は「Tokyo Metropolitan University」ですよね。

では、東京都立大学の英語名は何だったかというと、これもまた「Tokyo Metropolitan University」です。

つまり「都立の大学改革」の過程において、あれほど石原都知事は新大学への旧大学名「東京都立大学」の継承を認めなかったのに、その英語名についてはあっさりと都立大の英語名「Tokyo Metropolitan University」という名称を継承させているわけです

さて、このことが何を意味するか分かりますか?

このことについて調べると、当時の大学改革がいかに十分な議論もせず、見切り発車という形で首都大を開学させてしまったのか、ということを余計に露呈させてしまうわけですが、

正直筆者は、当時の東京都や石原都知事を批判したくてそもそもこのようなことを始めたわけではありません。

首都大生が疑問に思うことについて、事実を認識したうえで、そこからどうしていけばよいのか考えてもらいたい、意見を発信してもらいたいと思って始めたことです。

ただ、その事実をあまりにもつらつらと長文でここに載せるのは筆者としてもも疲れるし、読んでる方としても疲れると思うので、もっと深く知りたいと思った方は是非、自分で調べて見てください。

(オマケ:昔の都立大時代の南大沢キャンパスの日常風景)

(今回の記事は『世界のどこにもない大学』『都立大学はどうなる』そして、当時の石原都知事の都立大改革に対して、当の都立大に通っていた一人の学生が反対の声をあげて膨大な時間と身を削って作り上げ、後世に残したサイト『都立大の危機』を参考に、筆者がまとめ、掲載しました。今回の記事は最初から最後までぶっ通しで書いたため、文法的なミスが多いと思います…読みづらかったらごめんなさい)

首都大学東京人文社会系中国文化論在学。自分が通う大学「首都大学東京」と自分が住む街「南大沢」について、主にその歴史に焦点をあてて、まとめています。 ”首都大生”が”首都大”に対して抱く「なぜ」という疑問に応え、単に批判に留まるだけでなく解決策まで考えまとめられればと思っています。