おじさんになると

おじさんになると長々と自分の話をしてしまうらしい。
おじさんと接して得た経験知である。

最近人に自分の話をすることが増えてきた。
そしてその時間が以前より長くなってきた気がする。
だから私はおじさんである。

自分のことをおじさんと言うことに照れや気恥ずかしさがない。
これもまたおじさんであることの証左である。

証左とか言い始めるのもおじさんくさい。
くさいといっても加齢臭ではない。
そう思いたいが自分の臭いにはなかなが気付かないものである。

だから自分のおじさんくささには蓋をしておきたい。
ただ、そのにおいを嗅いでみたい人がいるならいつでも蓋を開けられるようにしておきたい。
自分がおじさんのにおいが好きだったのでそんな気持ちが芽生えた。

飲み会でくだを巻くおじさんの話はよく分からないけど嫌いではなかった。
なんか言いたいんだろうなと思ってヘラヘラ聞くのが好きだった。
でも不快な臭いを嗅がされるのが嫌なのはよくわかる。

だからこうやって隔離してにおいを撒き散らそうと思った。
「いつでも蓋を開けられるようにしておきたい」という誰かが求めていると思い込んでいるのもいかにもおじさんくさいし、自分で俯瞰できてますよー感も一層おじさんくさくて嫌になる。
だが、飲み会で自分語りおじさんになるよりは幾分かマシである。
このnoteで繰り広げられるのはおぞましい加齢臭と自己顕示欲のマリアージュである。

マリアージュて(笑)

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