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MY GENERATION

いつもくだらない事から真面目な事までいろいろと考え事をしながらポスティングをしています。

先日ポスティングしながら考えていた事。

「同世代」についてです。私は現在50代の前半。

今までの流れをザッとおさらいすると、団塊世代の親から生まれ、身近にはレコード、カセットテープ、ラジオ、手回しチャンネルのテレビ、リモコンテレビ、アイドル、ボードゲーム、ゲームウォッチ、カセットビジョン、ファミコン、VHSビデオ、デカいステレオ、Wラジカセ、CDラジカセ、ウォークマン、MD、DVD、駄菓子屋、250ml缶ジュース等などがあったり生み出されたりして、昔の雰囲気や思想を残しながらゆっくりと進化する世の中で子ども時代を過ごしました。

学校生活では理不尽な校則が普通に存在し、先輩後輩の縦社会は激しく、偏差値に操られ、学校には真面目からバンドマン、ヤンキーからオタクまでいろいろな人格が共存しないまま存在し、土曜日には半日学校に登校していたのに、いつの間にか週休2日制が導入されて土曜日は休みになり、国営企業の民営化が進み、買い物には消費税がかかるようになり、ホコ天バンド、バンドブームの到来、ホットドッグやポパイ、トーキョーウォーカーという雑誌をたまに買って読み、誰も買わないと思われた水やお茶のペットボトルが生まれ、ポケベルや携帯電話が少しずつ普及し、24時間営業の店が増え続け、バブル崩壊、就職氷河期、就職難。

社会人になれば年功序列、先輩から厳しい指導を受け、気を遣う仕事はドンドン振られて一線に立つようになり、気がついたらそれが何年も続き、年功序列から能力主義?へ移行し、後輩が増えれば増えるほどジェネレーションギャップを感じ、努力と根性で厳しく育てられたのに若者には厳しく育てるなと見えない圧力をかけられるようになり、自分達は後輩にいつまでも仕事を渡せないまま若い頃と同じような働き方をしている。

その間に自然災害や衝撃的なニュースもたくさん見聞きし、インターネットやパソコン、スマホが著しい普及と進化を遂げ、近しい世代の方が亡くなる話題も増え、将来の年金や老後生活もあてにならず、今になって急に多様性の共存共栄と共に個が尊重されるようになり、露頭に迷い始め慌てふためいている。

こんな世代。かな?

人によってちょっと違うかもしれません。

若い頃はそれぞれバラバラの道を歩み、時にはライバル、そして全く違う価値観を持つ存在と認識することもあったかと思いますが、今になり私の認識が変わりつつあります。世代の特性があって年齢を重ね他の年代層と触れ合うことで、同世代には仲間意識のようなものや安心感が生まれるようになってきました。

とにかく自分にとって同世代は安心する存在

言わなくても分かる行動や価値観、そして共に違う場所で触れ通り抜けてきた共通、非共通の話題。その世代の人しか使わないような言い回し。

とにかく安心する。

多様性とは言い難い時代に育ってきた私たちの世代は、いくら好みが分かれているといっても同じようなTV番組を見て、同じようなラジオを聞いて、同じような雑誌やコミックを読んで、同じような遊びをして、自分に興味がなくても見聞きして知っていることがいっぱいありました。

何となく分かるから安心する。

職場でも日常生活でも、そしてこのnoteの世界でも。

前世代の人とは何でこうなんだろうと思うことがたくさんあるし、次世代の人の考えや行動には理解できないことがあります。これは決して人生の先輩、若い年代の人が合わないとか、嫌いとか悪いとかいうことではなく、育ってきた共通の時代背景が影響しているのだと思います。

とは言うものの、長い歴史の年表にしたら、自分たちもその上の世代も、若い世代もそんなに変わりはなく、同じ時代を生きる人間。重なる時間軸はずれているけれど、共通の時代を歩んでいる仲間。同世代は確かに安心するけれど、やはり一緒に関わるどんな世代とも、影響し合いながら人生を歩むのが人生の醍醐味なのでしょう。

こんなことを考えながらポスティングをしているおじさんのお話でした。

ちょっと真面目な話でしたね。取り止めない内容だなぁ、だけど記事にしました。

前世代、次世代を否定するものではないことだけは重ねてお伝えしていきたいです。

記事を書くのに際し、ポスティング中の思いを増幅した形で表現していますのでご了承ください。