表現規制の問題って難しい、というお話

はじめに

 この記事を書いている現在(10/27)、衆議院議員総選挙まであと4日であり、各政党の政策に関する公約が関心を集めているところである。その政策の一つに表現規制があり、表現規制の強化を謳う党に対して同人界隈が反発するという図式がSNS上で成り立ちつつある。
 しかし私自身いろいろ考えた結果、表現規制を全肯定したり全否定したりして万事解決するほど簡単な問題ではないということに気づいた。このnoteでは、表現規制の問題の難しさについて私が考えたことを記載する。

表現規制の理由

 では表現規制を行う目的について考えてみる。表現規制賛成派が規制を行う理由としては、「世界で表現規制の機運が高まっているのに、日本だけ規制しておらず野蛮な国とみなされるから」という話なんじゃないかと思っている。(同人文化で経済を回している日本を潰すとかいう陰謀論的な目的はここで語るとややこしくなるので割愛する。)
 確かに世界で表現規制の機運が高まっている理由はわからなくもない。世界には性差別や未成年者の人身売買が潜んでいる国もあり、これらの犯罪を撲滅したいという意図については理解できる。しかし、臭いものに蓋をする感覚で犯罪に関する描写を封印しても、問題が解決できるとは限らない。犯罪のことを子どもの頃に知らずに育った人々がいざ犯罪に直面した際、判断に困り、杓子定規に法を守るか、法の背景を知らず法を無視するかという柔軟性のない手段しか取れなくなるという問題がある。

 一方、表現規制反対派が規制に反対する理由としては、「作家の表現の幅が減るから」という話なんじゃないかと思っている。昭和に放送された「江戸川乱歩の美女シリーズ」や「時間ですよ」シリーズなどの名作は、エログロ描写により地上波では自主規制により放送できないという認識が強い感がある。表現規制があっても科捜研の女や相棒、ニチアサやウルトラシリーズ、ドラえもんやサザエさんなどは名作を輩出しシリーズを長寿化している感があるが、他の地上波放送作品の多くは表現規制が強すぎて無味乾燥化していると反対派が主張している。確かにその通りかもしれない。しかし、無闇に表現規制を撤廃してしまうと、コント番組におけるイジメ描写みたいにイジメを助長することにつながりかねないこともある。

 では表現規制を行う理由、反対する理由として何が適切であるか、自分なりに考えたところ、結局のところ「犯罪発生率を抑えられるかどうか」って話なんじゃないかと思っている。
 人身売買は当然ながら犯罪として、イジメや、性差別についても迷惑防止条例違反、場合によっては暴行罪や侮辱罪に該当する。世界の潮流が表現規制を強化しているという動機だけではこれらの犯罪発生率を抑えることはできないし、表現規制を緩和して作家の表現の幅を増やすことが犯罪発生率を抑えることより優先度が高いとは思えない

 昔の特撮番組は危険なアクションを伴う撮影があり、これも一種の表現規制が緩かったことの例だとも考える。しかし、それでもスタッフ・キャストの方々は指をくわえて危険な撮影に臨んだわけではなく、安全対策をするなり訓練をするなりして事故を防ごうとしたわけである。そのため臭いものに蓋をして危険な撮影をしないというのも反対ではあるが、危険な撮影をするからには事故率をできるだけ低くするための尽力が必要であると考える。(実情としては事故率の目標値が年々下がっていき、目標を満たせるだけの安全対策にかかる時間と予算と人材がないため、臭いものに蓋をする感覚で危険な撮影がされなくなったという話はあれど。)

 そのため、臭いものに蓋をするような表現規制の強化には反対である一方、表現規制を闇雲に緩和することにより犯罪発生率を上げ人々が傷つくことも反対である。(とはいえ世界的に表現規制が強化される理由が、規制に賛成する国々の宗教絡みだとすると、話が非常にややこしくなるので手も足も出せないが。とはいえ何か事あるごとに宗教を盾に我を通す行為は非合理にも程があるのでやめてほしいと思っている。)

 では表現規制の対象として典型的な例である性描写と犯罪描写について掘り下げていくこととする。

性描写について

 性描写については様々な問題があるが、ここでは実在人物の性描写と非実在人物の性描写という区分け方で話を進める。
 実在人物の性描写については、昔だとコンビニに堂々とエロ中心の雑誌が置かれてあったのに対し、最近ではエロ中心の雑誌がコンビニから姿を消した。置かれてあるのはエロページを含んだ時事ネタ中心の雑誌である。また、地上波においてはゴールデンタイムでも女性の裸が映っていたが、現在では深夜番組ですらエロ描写は姿を消している。
 しかしエロ雑誌やエロコンテンツが全てなくなったりしたかといえばそうではなく、ロードサイドに店舗を構える書店とかでは全年齢ゾーンと18禁ゾーンを有しており、18禁ゾーンでは数多ものエロ雑誌やエロ本、DVDやBDが販売されている。店舗によってはエロアニメやエロゲー、エロ漫画なども置かれてある。また、CSではエロ描写のある昔の番組を再放送したり、年齢制限付きでエロコンテンツを放送したりしている。
 実在人物の性描写も公共の場所からは姿を消したが、制約された場所においては昔以上にコンテンツに触れることが可能である。
 一方、コミックマーケットにおいては展示サークル数が莫大であるためか、年齢によるゾーニングは2021年10月現在までしておらず、年齢制限付きシールを貼っているだけである。そのため、表現規制強化派の中でも「実在人物の性描写と【同等に】非実在人物の性描写を規制すべきである」という方針には賛成である。展示ブースを全年齢ゾーンと18禁ゾーンに分けているワンフェスと同様に、コミケも年齢でゾーニングしても良いのではないかと考える。「ワンフェスみたいに全年齢ゾーンと18禁ゾーンに分ける予算がないから十把一絡げで18禁の取り扱いをやめます」とか、逆に「予算がないから十把一絡げでゾーニングやりません」とかいう方針には反対である。そうならないためにもゾーニングにかかる予算を国から出すという政策を掲げてもよいのではないかとも考える。

 …と、年齢によるゾーニングが正しいこと前提で語ってきたわけであるが、ではゾーニングが本当に正しいかどうかについても考えることとする。ゾーニングする理由としては、「(真摯な交際関係という条件の不要な)性行為が法的に許される年齢が18歳以上だから」であると考える。

 警視庁HP

によると、13歳以上18歳未満に禁じられている「みだらな性行為」とは、

みだらな性交又は性交類似行為とは、青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱っているとしか認められないような性交又は性交類似行為をいいます。

と定義されてある。18歳という年齢が本当に適切かどうかという疑問はあるが、心身の未成熟さに乗じた不当な手段を用いたり、青少年を単に自己の性的欲求を満足させるための対象として扱ったりするなど、弱みに付け込み青少年を食い物にする行為は個人的に許しがたいものがある。
 さらに、性教育の施されていない青少年に対して刺激の強い性描写を見せることにより、本来なら尊ぶべき概念であるはずの性が「〇〇歳までに初体験してないなんてダサい」というマウンティングの道具や大喜利のネタに成り下がったり、性暴力が法的に間違ってない行為と青少年に思い込ませたりと、「みだらな性交」を増やす結果になりかねないと考える。
 しかしその一方で、思春期になってからしか受けられなかった性教育を、もっと早い段階で計画的に受けさせるという手段も、年齢による規制を緩和できる手段になりうるのではないかとも考える。

 フランスだから正しいというわけではないと思っているが、早い段階から性器という観点だけでなく人間を大切にするという観点で性教育を行う方針には賛成であり、性犯罪を守る武装にもなりうるので結果的に臭いものに蓋をする行為もなくなるのではと考える。

犯罪描写について

 「エログロ」の「エロ」について語ったので、次は「グロ」について語るとする。
 昔はゴールデンタイムでも「ホラー映画の撮影裏」といったスペシャル番組が平気で放映されていたり、テレ東の番組「もんもんドラエティ」に至っては、「お茶の子博士のHORROR THEATER」というホラーミニ映画のコーナーが番組の後半パートで放送されており、何分に放送されるか、いつ終わるかわからないことも相まって、ただでさえ怖いホラー映画が心底怖かったという覚えがある。
 ホラーでなくとも仮面ライダーや電子戦隊デンジマンといった一部のヒーロー番組は怪奇性が強く、怪人が一般市民を惨殺するシーンなどがゴールデンタイムや夕方に放送されていた。サスペンスものでも江戸川乱歩の美女シリーズや横溝正史シリーズなどでは被害者が惨殺されるシーンがあった。
 ホラー映画については見たくない人もいるので、性描写と同様にゾーニングの問題で解決できそうという感触である。
 しかし、仮面ライダーや戦隊など、ヒーロー側の正義を描くには悪を悪たらしめる必要がある。獣電戦隊キョウリュウジャーから手裏剣戦隊ニンニンジャーまでの戦隊では、傍迷惑とはいえ感情集めしかしていない通常怪人を正義の戦隊が倒すという展開には非常に抵抗があった。(ホラー描写をすると視聴率が下がるという話は別にするとして、)仮面ライダーに出てきたさそり男や、デンジマンに出てきたシャボンラーみたく、人を惨殺するような悪い怪人を倒してこそ、ヒーローが頼もしく思えるし、共感もできると思っている。
 また、現在では子ども番組において子どもの誘拐や過度な体罰に関する描写が、悪者が真似するからという理由で自粛されている(感がある)。しかし子どもの誘拐や過度な体罰を悪いことと定義づけて描写している作品は、教育上悪いとは思えない
 しかし、犯罪描写をやりすぎると視聴者に免疫がつくという話もあるが、何らかの人身事故が発生した際に落ち着いて対応できるという人もいれば、逆に犯罪描写を復讐の手段に悪用するという人もいて、免疫がつくほうがいいか悪いかについて明確な答を出すことができなかった

終わりに

 以上、表現規制の正当性を考えるとこれだけ話が長くなることから、表現規制の問題は非常に難しいと考える。
 性描写とホラー映画についてはゾーニングの問題で解決できそうだが、教育番組における犯罪描写は悪事を悪事として描く目的であれば、公の場に出してもいいのではと考える。ただし、性描写・犯罪描写による免疫の有無についてはメリットもデメリットもあるため、明確な答が出せておらず、やはり表現規制の問題は難しいと考える。
 なので、難しい問題を抱える表現規制という観点で投票先を選出する行為は非常にリスキーと考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?