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過去のレコ評(2018-10)

(2018年「SOUND DESIGNER」誌に寄稿)

「HOME」ジョン・バトラー・トリオ
P-VINE RECORDS
PCD-18843

ジョン・バトラーといえば、乾いたアコースティックギターを巧みに鳴らした、巻き毛・長髪のイメージ。それはヒッピーやサーファーのように、親しい友人たちと楽しむ音楽。しかし、今回は少し違う。長いリバーブが多い。それは広い場所を意味する。そしてアンプを通したギターが多い。つまりそれは、コンサートを意識したもの。どこで誰がどういうふうに楽しむものか?。音楽の仕事というのは、常にそれを考えなければならない。服だってそうだろう。どういう人がどういう場所でどう見せたいのか?そのために適している素材は?形は?今の流行との関連は?活動を続ければファンも変わっていく。今回は単純に、リスナーが増えたということの表れなのだろう。彼らの仕事は次のステージに進んだのだ。

「Egypt Station」ポール・マッカートニー

流行と普遍性は相反関係にある。流行を追い求めると普遍性から遠ざかり、普遍性を極めようとすると流行から取り残される。ポールは、このトレードオフを鮮やかに否定してくれる。彼の曲の骨格には普遍性がある。つまりピアノやギターの弾き語りに置き換えることが容易だということ。一方それぞれの音色やミックスは現在進行形にアップデートされている。リズム隊は90年代のヒップホップを通過した音色だ。2曲目のイントロにはラナデルレイのような新鮮さがある。ウワモノは最近のブルックリン周辺などに見られる若手サブカルミュージシャンの匂いがする。もちろんそれは70年代の音楽への憧れから発したものだから、時代は一周しているわけだが。そして何よりその声だ。時にショートディレイがかかりノスタルジーを醸しながらも、今を感じさせる声に勝るものはない。

「FAB FIVE」フジファブリック

彼らについて語りたい人は山程いるだろう。数あまたあるバンドの中で、彼らが何故特別なのか。自分も語らせてもらえるなら、それは「クリシェからの逸脱」という一言でまとめよう。クリシェとは過去の遺産。それを思い切り肯定した上で新しいアイデアを乗せてちゃんと逸脱しているのだ。例えば今回のミニアルバムにおいて、3曲目はコードにおけるクリシェからの逸脱。サビのコード進行は思い切りクリシェだ。だが、AメロBメロサビのコントラストと繋ぎ方に新しさがある。4曲目はロックというクリシェからの逸脱。フランジャーの使い方とセンスが「よくあるロック」に陥ることを許さない。このスタンスは、過去のメンバーの遺産へのスタンスとよく似ている。理想的な遺産の引き継ぎ方だ。

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