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演劇×ワークショップ×安楽死で涙する。

9/7渋谷、ヒカリエの8階で開催された「超福祉展」の枠をいただき、開催したのは「未来のホスピスを考える~3種類の死、その彼岸・此岸」という名のワークショップ。
これが、できあがってみたらとんでもないシロモノだったのでご紹介したい。

参加者に向けて最初にアナウンスしていたのは、「緩和ケアと安楽死をテーマにしたワークショップです」ということ。しかし、ここにはある「仕掛け」が隠されていたのだ。

メインファシリテーターは、私が常々「天才」と言っている、齋藤商店の齋藤くん。そもそも彼にこのワークショップをお願いすることになったのは、2018年に彼と『戯曲 株式会社必死』という演劇を作ろう!という話になったのが発端だ。
その詳しい話は、こちらのnoteに書いてあるのだが、有料のため一部抜粋してみよう。

彼(齋藤くん)が
「安楽死って、こういうことじゃないんですかね」
と、言ったんです。
「余命いくばくもない人がいたとして、その人が富士山を登りたい、って言うなら登らせてあげれば八合目くらいで死ぬかもしれない。実際にやったら色々問題あると思うんでそれは例えですけど、何かどうしてもやりたいことがあるっていうならやらせてあげて、その結果死に至るっていうのがあっても、ありなんじゃないですか」
という話があり、これはなるほどなーと思わされたんです。
つまりは、命を意図的に縮めるでも、命が尽きるまで静かに生きるでもなく、「命を燃やし尽くして死に至る」という道。
これは命を護ろうという発想にしばられがちな医療者にはできない、斬新な発想ですね。

そして、その齋藤くんが「死に向かって命を燃やし尽くす会社とかできたら成り立ちますかね」というので、じゃあ映画とか劇とかにしてみたらいいんじゃね?ということで、台本書きの経験もある彼が書いてくれたのが以下のあらすじ。
戯曲『株式会社 必死〜金なし、コネなし、寿命なし〜』
コピー : 社員は全員余命が半年以内
医師に余命半年を宣告された7人の患者たち。病の苦しみ、家族に迷惑をかけたくない、死ぬ瞬間くらい自分で選びたい。それぞれの「理想の死に方」を求めるも、全員金もコネもない一般人。
ある時彼らは「オランダまで行けば安楽死ができる」ことを知る。しかしそれには莫大な資金が必要。金はない、コネもない、時間もない。だけどみんな半年猶予がある!
患者たちは集った。そして誓った。
みんな一緒にオランダに行って安楽死しよう。
そうして立ち上げた「株式会社 必死」
必ず死ぬから必死。必死になって死ぬため働く。
唯一の入社条件は「余命半年以内」
面接の質問は一個だけ、
「あんた、あと何ヶ月だい?」
余命半年の社長のモットーは「長いスパンでビジネスは作る」。
寝たきりの敏腕営業の座右の銘は「営業は靴すり減らしてナンボや」。
経理は余命3ヶ月、「次の決済を迎えられるか、迎えられないか」。
若手のホープは余命1ヶ月「弊社一の若手にして、最もあの世に近い男」。
妖艶な営業事務「後半年、何人男を落とせるかしら、ウフフ」。
開発部部長、最初の商品「余命時計」は社内でしか売れず。
不治の病に侵された広報美女は「私がみんな、看取ってあげる」が口癖
個性的な7人が残りの寿命を燃やして生きる。
大丈夫なのかこの会社。
炎上必須のブラックコメディが今、幕を上げる。

これ、盛大に批判を受けるかもしれないんですが、齋藤くん曰く
「そもそも演劇とか芸術とかは世の中のタブーに挑戦するものなんです。安楽死がいまの日本で認められていないなら、こういう作品で世に問うというのはありじゃないすかね」
とのことで、なるほどなと。

すごい!やってみたい!でも、いきなり演劇の台本を書いていくのも難しい、ってことで、
「まずは生きるとか死ぬとかを考えるワークショップをしたいね」
と話していたのだ。
そんなときに頂いたのが、この「超福祉展」でのワークショップ枠。渡りに船と、齋藤くんに声をかけて、「ワークショップで演劇をする」という奇想天外な案が生まれたのである。

ワークショップ中に、メンバーが入院!?

かくして、ワークショップは始まった。
「未来のホスピスを考える」というのが今回のワークショップのテーマ。ただ、普通のワークショップと違うのは、話し合いの前に、まずそれぞれのメンバーに「役作りシート」が配られ、その「役」をつくってもらうところから始めるというところだ。

つまり、この時点からもう「演じてもらう」という要素が入ってきている。
そして、
「ここは『未来のホスピスを考える』というアイディア出しの会場。各チームメンバーとそのアイディアを競い合い、そして発表をしてもらいます」
というところからスタート。

各チーム、順調に話し合いを進めていく。
ここまでは普通のワークショップだ。

しかしここで齋藤くんからいきなりのアナウンスが入る。
「各グループで『リーダー』という役を担った方、重大な話がありますので、ステージに集まってください」
そして集まったリーダー役の方々に、齋藤くんが告げるのは、
「あなた方は、不治の病になりました。今からあなたは耳と声が不自由になり、ワークショップに満足に参加できなくなります。他人に感染はしませんが、治療法はありません。自分がこの病気になったということは、自分なりに他のチームメンバーに伝えてください」
という進行性の病気の告知。リーダー役たちは、耳栓とマスクを渡され、メンバーの元に戻り、病気について告白。 

ただ、耳栓+マスクでも、何とかまだコミュニケーションは取れる状態。しばらくすると、リーダーが病気ということは忘れて、またワークに没頭していくが、ここで再び齋藤くんからのアナウンス。
「リーダー役の皆さんは、病状が悪化して緊急入院することになりました。もう歩くこともできず、仲間のところに戻ることはできません」
リーダー役の方はステージ上で壁側を向いて座らせられる。ここがこの演劇でいうところの「病棟」という設定。そして示される選択肢。
「リーダー役の皆さんが取れる選択肢は2つ。ひとつは、その最期の瞬間まで、参加し続ける(生き続ける)こと。そしてもうひとつは安楽死の権利を使って、役から降りることです。参加し続けることを選ぶ場合は、ここから動くことができませんが、メンバーの皆がお見舞いに来てくれたりすれば、ワークは続けられるかもしれません。一方、安楽死を選べば、この場から抜けることができ、メンバーがいるテーブルのところにギャラリーとして戻ることができます。安楽死の権利を使う場合は、ナースコールを押し、看護師役のスタッフを呼んでくださいね」
「残されたメンバーの皆さんは、残り時間までワークを続けてください」

さて、この状況で参加者たちはどのように行動しただろうか?

お見舞いに来ても来なくても感じる「孤独」

病棟に隔離されたリーダー役の表情は沈む一方。でも多くのメンバーは、リーダー役のもとへ積極的に「お見舞い」に訪れた。チームによって、そのタイミングや頻度は異なったけれど。
そしてタイムアップを迎えた時、結局誰も安楽死の権利を使う人はいなかった。
リーダー役のひとりは、後の振り返りで
「みんながお見舞いに来てくれたことで支えられた。人の温かみを感じた。だから安楽死を選ばずに済んだ」
「自分にも社会での役割があると思えたこと。そしたら安楽死は選びたくなくなる」
と語った。

しかし、他のリーダー役のひとりは
「お見舞いに来てくれるまでの間、待っている時間がとてもつらかった。自分が携わっていないところで、ガヤガヤと話しは進んでいるんだろうけど、何を話しているかも聞こえず。いろんな葛藤があった」
「お見舞いの人が来て、する話が仕事の内容。隣の人に対して『体調、大丈夫ですか』とか言ってもらっているのを聞くのもつらかった」
「そして、何回も来てもらっても、結局彼らはまた仲間のところに帰っていく。ひとり残されるとまた孤独になった
と語り、その感想は他のメンバーたちに衝撃を与えていた。そして、リーダー役の方々はメンバーの元に戻り、涙を流した。
「リーダーと何を話せばよいかわからず、動き出すことができなかった」
「良かれと思ってやったことが、裏目に出ることがあるのだと知った。それでよけいにリーダーを孤独にしてしまった・・・」

3種類の死

最後に私から、「死には3種類の死がある」という話をした。それは
・肉体的死
・精神的死
・社会的死

今回、このワークショップでは、演劇によってこの全ての流れをとりこんだ。これまで自由に参加できたワークに、徐々に参加できなくなり役割を喪失することでの社会的死。病棟に隔離されることで「あちら側とこちら側」に分断され、自分の存在価値を喪失していく精神的死。そしてその先にある肉体的死。
私たちは安楽死についての是非を考える前に、まずこの3種類の死について知るべきではないのか、ということがこのワークショップの狙いだった。安楽死について考える人を増やす。その前提として、そもそも「人が死にたくなる社会」に、私たちは加担しているのではないだろうか、という問い。
安楽死に賛成という意見は世論の7割なんていう調査もあり、もしかしたら安楽死希望は多数派という錯覚にとらわれそうになるけれども、実際に安楽死を望む場合というのは社会的にマイノリティになっているというギャップに気付くべきだ。そのうえで、私たちはどういう社会を目指すべきなのかということを、これからも考えていきたい。

演劇(即興劇)という要素をワークショップに重ねることで、これだけ多彩な気づきが得られたことに驚いている。
おそらく「安楽死についての是非を考えよう」というワークショップをしたとしても、ここまで深い体験は得られなかっただろう。どこか他人事の意見の応酬になることは目に見えている。演劇の「役」という仮面をつけられたからこそ、「死」の体験をリアルかつ安全な形で実現できたのだと思う。
時間があれば、より一人一人の役作りに凝って、ワークショップをもっと深い形でできただろう。
「次は半日とかかけて『完全版』をやりましょう」
と齋藤くんとは話したので、ぜひ次の機会に、また皆さんもご参加いただきたい。そして『戯曲 株式会社必死』の実現にも、乞うご期待!

ここからの有料部分は、
・「未来のホスピスを考える」ワークショップで出た、逆転の発想アイディア
・「真の当事者」不在の空虚な会議たち

について。
「3種類の死を体験する」という演劇部分に隠れて、あまり表に出てこなかったアイディアピッチ部分ではあるが、実際には多くの興味深いアイディアが出ていた。その中でも、3チームに共通していた「発想の逆転」ともいえる考え方についてお伝えしたい。
そしてもうひとつは、先ほど述べた「安楽死について、是非を議論したとしても、それはどこか他人事のようになる」という「真の当事者性」の欠如について。それは安楽死議論ほど特殊な状況のときだけではなく、あなたの会社でも起きていることではないかな?というハナシ。

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Tomohiro Nishi

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Tomohiro Nishi

2005年北海道大学医学部卒。 2012年から川崎にて、腫瘍内科-緩和ケア-在宅ケアをトータルで診療するシステムを創る。2017年に暮らしの保健室を設立し病気になっても安心して暮らせるまちづくりへ取り組む。リレーショナルアーティスト。

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コメント1件

孤立し涙した患者役で参加させていただいたものです。様々な気持ちの変化を味わい、感情がものすごく揺さぶられた経験を、こんな短時間でしたのは初めてでした。学びが大きすぎてまだまとめられてないのですが、ワークショップで感じた気持ちをアウトプットしさらに掘り下げて考えるきっかけを作っていきたいと思いました。本当にありがとうございました!
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