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安楽死制度に賛成・反対の議論はもうやめよう~幡野広志さんとの対談から

「安楽死制度に賛成・反対という議論は、もう意味がないと思っているんですよ」

 8月のある日、八重洲ブックセンターにて、幡野さんと対談を行った。
『がんを抱えて、自分らしく生きたい』刊行記念の対談だ。

 八重洲ブックセンターには初めて足を踏み入れたのだが、入り口すぐのところに私と幡野さんの特設コーナーを作ってくれていてありがたかった。こういう細かい演出に心が温まる。

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 対談の会場は100名ほどのお客さんで超満員。
「対談って、この壁の前で待っている時が一番緊張しますよね」
 と語る幡野さん。確かにそうだ。そして今日は打ち合わせもしていなかったのでなおさらだ。

「何から話しましょうかね」
「私の本の記念対談なんで、まずは幡野さんの感想からお聞きしましょうかね」
 っていうゆるい感じでトークは始まった。

終末期鎮静前の10日間は無駄だったのか

 その中で、幡野さんの友達だったというある女性の話になった。
 私が受け持ち、対談の3日前に病院で看取った患者さんだった。
 彼女は30代後半のがん患者さんで、もともとはスイスで安楽死を希望していた。しかし、スイス側の事情などで受け入れを拒否され、それであればと私の病院で「鎮静死」を望んで来たのだ。
 彼女は、「私の体が動かなくなったら、もう眠らせてください」と言っていた。
 確かに彼女はもうだいぶ衰弱してはいたが、医学的には鎮静の適応となるような「耐え難い苦痛」には遠いと私は考えていた。仮に、私は納得できたとしても、病棟のスタッフが納得できるかはわからない。私は、悩んだ挙句、医師人生の中で初めての「お願い」を彼女にした。

「入院してもらって、私や看護師、心理士と対話をしてください。あなたは今日にでも眠りたいと思っているかもしれない。あなたの中の苦痛はわかる。だけど、私たちにも納得するための時間が必要なんです」

 彼女は、その「お願い」を承諾して、入院した。
 それから10日間、彼女と私たちは毎日たくさんの言葉を交わした、と思う。しかし、徐々に衰弱は進み、いよいよ「自分の脚で動けなくなるとき」が迫った。また、そのころには腸閉塞をおこし、1日中嘔吐を繰り返していた。私もあらゆる手を尽くして、その苦痛を緩和しようと試みたが、それは彼女にとって十分ではなかった。
「確かに、先生のお薬で、昨日よりは楽にはなりました。でも、それによって私が幸福になったとは言えないのです」
 と、彼女は話し、いよいよ鎮静を行うかという結論になった。
 私は尋ねた。
「この10日間って、あなたにとってどういう時間でしたでしょうか。僕らが『生きていてください、僕らと言葉を交わしてください』とお願いをした時間だった。あなたにとって、この10日間は無駄なものでしたか?」
 すると彼女は微笑みながら、
「私にとって、この10日間は無駄ではありませんでした。医療者がこれまでこんなに真剣に向き合ってくれた経験がなかったから、それを取り戻せる時間、というものを持ててよかった」
「夫とも、十分語り合いました。もう、本当に十分です」
 と語った。

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 幡野さんは、
「先生や看護師、心理士さんの名前もあって、『これまでの医療不信はなんだったのか、とおもうくらい良い体験ができている』、というメッセージを受けていたのでホッとしている」
 と言い、
「彼女からは色々と考えさせられた。緩和ケアにかかって最期を迎えるということにも希望が持てた」
 とも語った。
 私にとっても、終末期鎮静や安楽死について改めて考えさせられる方だった。

海外の安楽死制度は決して優れたものではない

 私たちが対談の中で確認した大きな気づきは
「スイスをはじめとした諸外国の安楽死システムは、決して優れたものではない」
 ということ。日本には日本の安楽死制度があるべきで、海外のシステムをコピーすべきではないということ。
 彼女と過ごした10日間は、私たちにとっても大きな意味があったし、彼女にとっても大きな意味があった。だったらスイスのように、なんのつながりもない医師のところで面談し、改めてケアを受けるわけでもなく死に至り、そしてその後の遺族のケアを行うこともないシステムは、少なくとも日本人にとっては欠陥だらけだと確信できた。

 日本はもう、安楽死制度について賛成・反対というところで議論を止めておくべき時ではない。日本には日本の安楽死制度があってよい。それは、私が本に記した「安楽死特区」構想かもしれないし、別の形もあるかもしれない。安楽死制度はあるべきか否か、という議論では、お互いの意見が妥協し合うことは永遠にないと思う。だとしたら、その議論から生まれるものも(現状把握以外には)ほとんどない。
 これからは、どういう形であれば日本人にとって最適となるのかという制度設計の話をしていくべきではないか。安楽死制度に反対なのであれば、どのような条件や規制をつければ、安易に安楽死に人が流れないのか、という点を設計に入れ込むように声をあげる方が建設的だろう。もし、制度そのものに反対なのだとしたら、安楽死を求める方々が納得する代替案を示すべきである(ただ、そのほとんどが「それはあなたの価値観・死生観でしょう」の一言で論破されるように思うが)。

安楽死制度の歩みを超えて緩和ケアを進ませる

 そして議論をその方向に歩ませる一方で、私たち医師は緩和ケアの発展を急速に進めて、安楽死を求める人を減らしたい。安楽死施設ができたとしても、そこを閑古鳥が鳴く状態に追い込みたい。
 幡野さんも
「安楽死制度を進めることで、緩和ケア医側も焦って、緩和ケアの技術向上や啓発の促進につながっていくのではないか」
 と語っていた。

 最近頂いた本に興味深い意見が書いてあった。

「安楽死」や「尊厳死」が求められるような「悪い死」の原因として、多くの人々は変えることのできない個人の病気や病態ばかりを挙げ、(医療やケア、コミュニケーションの不足や社会的孤立を生み出している悪しき文化など)こうした変えていこうと思えば変えていける広い意味での社会的・環境的要因がきちんと問われないままになっていることが多い。※()内は筆者加筆

 私たちは、死について語ろうとするあまりに、人が生きることを支えるということに真剣に取り組んでこなかったのではないか。「尊厳のある死」を達成するために必要なのは、本当は「尊厳のある生」の達成のはずなのに、それを「死なせる」ことによってしか達成できないという議論は、フォーカスがずれてしまっているのではないか。

 本来の緩和ケアは、人が生きる、その全人的ケアを行うものだったはずだ。単に体の痛みを取るだけではなく、精神的な不安をケアするだけではなく、その人が、がんを抱えていてもその生を全うできるような社会を育てていくこと。そのような「よい生」の追求の先に、安楽死制度があるというのもあるのかもしれない。ただ、私たちはその制度が育つことを上回る狂気で、「死にたくなくなる」手立てを育てていく。

 幡野さんは
「私は世論を作ってしまうのがこわい。間違った方向に行かせてしまいかねない。『令和のヒトラー』みたいな、あのときから闇の歴史が始まったとなりかねない。だから、そこは慎重にいきたい」
 と語っていた。そして、
「安楽死について、やめてほしいのは『まともでない賛成』。『安楽死ができると医療費が減る』とか。いま本当に欲しいのは、安楽死に対する『まともな反対』です」
 とも語っていた。建設的な反論は、制度をブラッシュアップする。
 私と幡野さんが安楽死について見ていた方向性は、もともと全く真逆だった。しかし、この1年間でお互いがひとつの方向に収束してきたようにも見える。しかし、その制度に対するアプローチは決して同じではない。私は私の場で、できることをする。
 また知見と考察を蓄えて、半年後くらいに意見を合わせたい。その時が楽しみだ。

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 この先は、対談だけではなくその後の飲み会で幡野さんと私が話した内容についてざっくりと羅列してみた。例えば、
・患者ではなく家族の希望を聞き入れる本当の理由とは?
・1%の奇跡や可能性を信じて、見込みがない治療をしてしまう心理
・「緩和ケアがあれば、安楽死はいらない」という言葉の意味
・安楽死制度ができたときに、その施設長に求められるもの
・おいしかった焼き鳥の写真

 など。興味のある方はご覧下さい。

※写真はすべて幡野広志さん撮影
※今回ご紹介した女性は、この対談に出席したいと願っていた。でも出席が難しくなった時「幡野さんと私で、あなたの話をさせてもらってもいいですか?」と伝え、快諾されたものである。

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