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凪原涼菜バースデーライブPANDORAの感想

こんにちは!凪原涼菜さんガチ勢のあたつなです。
先日は凪原涼菜さんのバースデーライブPANDORAに参加させていただきました!
お金をかけたかいがあって最前列で見ることができました。涼菜さんのお姿をあの距離で拝見できてそれだけで感激していました。
現地で特に前の方に座っていた方なら感じてと思いますが涼菜さんの歌声に加えて生の演奏の迫力も凄まじいものでした。
涼菜さんは特に世界観を大事にする方なので去年のOkeanosではCGを駆使して神殿の中でのライブを披露しました。まさかリアルライブをするとなってアコースティックの形式をすると言うことで期待がふくらむばかりでした。

さてライブの中身はと言いましと、去年のOkeanosでは光と闇の二面性が表現されていました。今年はと言いますとテーマがパンドラの箱と言うことでしたが、テーマ通り通りの暗さが目立ちました。なまじ涼菜さんの歌の綺麗さと弦楽器の神秘的な感じが一層雰囲気の暗さを引き立てていましたね。パンドラの箱というと開けるとあらゆる災いが出てくると言う程度しか知らなかったですが、涼菜さんが紡ぐ物語を理解する上で一度調べてみようと思いました。(以下Wikipedeaのリンク)

プロメテウスが人に火を与えた話自体は有名なので知っていましたが、それがパンドラの箱と繋がっていたことは今回初めて知りました。またこれらの物語はギリシャ神話の叙事詩であるヘシオドスによって語られているものでもあります。前回のOkeanosでもそうですが涼菜さんが語りを大事にすることにはギリシャ神話の叙事詩的な一面を意識してるからかもしれませんね。

さて、悲劇的な物語を語る上での冒頭はといえば奏者の方々の演奏でした。曲の雰囲気は映画で辛い別れや人が死んだ時を思わせましたね。そこから涼菜さんの語りが始まりましたが、内容的にはプロメテウスの火を発端とする悲劇を思わせるような内容でした。この語りの最中に流れる演奏がまた迫真に迫る感じでかっこよかったです。
「いつか誰かの語った救済のありかを一緒に探してみませんか」この一言がこのライブ伏線になっているだなんて誰が想像したでしょうか。

さて最初の曲はと言えばなんとなんと涼菜さんのオリ曲である「Air」でした。去年のOkeanosでも最初に歌われていましたがこの曲はどうにも闇属性のようですね(笑)
でも曲の雰囲気はアコースティックアレンジによって大きく変わっていました。特にサビでのヴァイオリンのキ〜という感じの音色がより強調されて聞こえて悲劇的な印象を受けました。

2曲目は「briliant road」疾走感があるかっこいい曲ですし、ライブ全体を振り返ってみても一番かっこいい雰囲気で演奏されていたと思います。ただライブの雰囲気も相まってただかっこいいだけじゃなくて少し影を感じるようでもありました。
涼菜さんの歌自体もMVの時のようにかっこよさが引き立っていましたが、素晴らしい明日を願って歌ったのではなく悲劇が起こる前の素晴らしかった日々、そもそもプロメテウスのせいで火奪われる前のことを思って歌われたんじゃないかと思いました。

3曲目の「聖少女領域」、4曲目の「勇侠青春謳」はいずれも涼菜さんが大好きなALI PROJECTの楽曲ですがこの2曲はなんとなく似た雰囲気があるなと、同じアーティストさんの曲なので当然ではあるのですが。曲調自体は楽しそうにも聞こえるんですがどこか不気味さを含んでるように感じてならないんですよね。
今回はアコースティックアレンジでは不気味というより切ない感じがしました。特に聖少女領域の間奏前の「わからない〜」の部分がすごく気持ちがこもってた気がしました。勇侠青春謳は不気味さが一周回ってかっこよかったです。オリジナルから弦楽器が豊富に使われている曲なのでこのライブにとても合っている2曲でした。

5曲目は「Shangri-La」。Shangri-Laはイギリスの小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名前だそうです。次に「Paradise Lost」があるせいかどこか弦楽器による儚さを感じさせます。
「Shangri-La」は涼菜さんのカバーMVの中でも特に好きなものの一つです。疾走感がありつつ一曲の中で雰囲気が色々変わるのが好きです。それでも今回のアコースティックアレンジでは寂しい雰囲気を感じてしまいますね。「一番高い林檎を掴みたかった 無くしてから気づく尊いもの」はアニメを知らない僕からするとやはり聖書の失楽園の話を思い浮かべてしまいます。一方でそもそも理想にすら辿り着いてないような歌詞もあり、理想郷というタイトルではあるものの夢敗れた歌なのかなと改めて考えさせられました。
「Paradaise lost」もアニソンの中で大好きな一曲で涼菜さんがカバーした時には歓喜しました。こちらもオリジナルでは盛り上がる曲のはずですがライブの雰囲気と「Shangri-La」の後ということもあって盛り上がる感じでは全然なかったですね。曲名に忠実に喪失感の漂っていました。

続いては「暁の車」に「焔の扉」です。両方とも切ない!!!この一言に尽きてしまいます(笑)
「暁の車」は涼菜さんがデビュー初期にカバーしてる曲なので涼菜さんがとても好きな曲で涼菜さにとてもよく合う曲だなと改めて感じました。「焔の扉」は「暁の車」と比較するといくらか明るい曲ではあるんですが歌詞を見てみると全然そんなことはなくてちょっと残酷にすら感じます。MVでは間奏後のコーラスが綺麗でしたが、ライブではコーラスなどあるはずもなく切なさが込み上げるだけでした。

ここで涼菜さんの最初のオリジナル曲である「雲透きの詩」がきましたね。リハ映像の時から楽しみにしていましたが、MVとは全然違う雰囲気でした。アコースティックが合いそうな曲ですが、MVでは意外と弦楽器は使われてないのが興味深かったりします。使われているのは福音のパートが中心で涼菜さんのコーラスに加えて弦楽器を用いることで神秘的で救済を表現されていました。このライブでは弦楽器を用いてはいますが明るい雰囲気にはならず他の曲同様切なさが伝わるばかりでした。一人の少女がただただ救いを求めて歌ってるようでした。最後の「この瞬間の気持ちを忘れたくはない それは“幸せ”と呼ぶのだろう ありがとう」なんかこのライブでは今にも消えてしまいそうな気すらしてしまいます。この歌をこういう風に歌われるとは思ってもいませんでした。
続く「君は僕に似ている」は「暁の車」などと似たような切なさが感じられますが、曲全体を遠して壮大さを感じられます。歌詞を見ていくと切ないのになんでこんなに壮大なんだろうと思ってしまいます。達観して何もかも諦めようとしてるのかなと思いました。
このライブでは涼菜さんの悲しそうな歌い方に加えて演奏が切なさをたたみかけてきます。間奏がとにかく綺麗でした。

「あんなに一緒だったのに」これもガンダムの曲で涼菜さんがとても大切にされてい曲の一つですよね。「『ガンダムSEED』の名曲を歌いました。大切な友達と戦わなければならない切なさと、それでも戦うのだという決意があらわれていてとても大好きな曲です。この曲の持つ世界観に寄り添って歌いました。 たくさん聴いていただけたら嬉しいです!」カバーMVで涼菜さん自信がこのようにコメントされていて、あぁそういう曲なのかなだから切なそうな割には妙に力強さが感じられるのかなくらいに今まで思ってました。
「命に嫌われている」切ないというよりは悲しいと思う一曲です。このライブでこの雰囲気で本気で命の儚さをたたみかけるように伝えてきましたね。この曲はとても人気なこともあってたくさんの歌ってみた動画がありますがここまで悲壮感があってかっこよさなんてなく本当に目の前で命のやりとりがあるような歌い方をしている動画はなかったと思います。涼菜さんの迫真の歌い方が半端なかったっす。

「アンインストール」凪原涼菜の始まりの曲。原点にして頂点とも言える素晴らしいカバーMVを出されています。何より私が凪原涼菜を知るきっかけとなった一曲で、とっっっても好きなカバーMVの一つです。本当に限界化してしまいそうなくらいに好きなんですよね。本家のホラーのような歌ではなく、登場人物達の生きたいと思う気持ちを感じさせる涼菜さんの歌い方がとっっっっても好きです。
このライブでもパンドラの箱を開けて絶望しかない中でもこの凪原涼菜さんの歌うアンインストールを通して生きたいという思いが強く伝わってきます。
「月光」TRICKというドラマのEDの曲ですが、小さい頃は物語のコミカルさに目がいってしまい、ストーリーの残酷さを理解できずにいました。そのため面白いドラマなのになんでこんな悲しそうなEDなんだろうと思いました。「I am GOD'S CHILDこの腐敗した世界に堕とされたHow do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない」人に罪はないのにプロメテウスやゼウスの思惑で絶望させられた人の思いはきっとこんな感じだったのかなと思ってしまいました。

ラストは今回のライブで初となるオリジナル曲「PANDORA」なんと最初に涼菜さんの語りの時に演奏していたのがこの曲だったなんて〜〜〜〜〜〜。
「世界は舞台、人生は花道、君来たり、見たり、去りたり by デモクリトス」

深い闇に訪れたプロローグ そこにあの子はいない 美しくなる魔法のようにあなたの前で踊るでしょう 
近づくほどにぬかるむ足元 海より深く響く灯火の歌 わかたれた世界に残されたものはなんだったか もし時間を巻き戻すことができたならきっと私と一緒には来てくれないの それでも
目を逸らし はるか エピローグ 凍てついた希望を持って
欲望の炎 燃える灰になる あなたは 私へとそう近づいて溺れましょうよ
いつかまやかしがあなたを殺してもほら綺麗でしょう
崩れ落ちた天国への階段 罪を背に 光を渇望 月には どうか終わりまで
微睡を繰り返す憧れと幸福に満ちていた
どこにあるの 楽園の外へとあなたと探し求めて
崩れ落ちた天国への階段 罪を背に光を渇望 月には 夢見て 私のそばで

(途中聞き取れない部分があって泣きたい)という本音はありつつ、語りや歌い方がミュージカルっぽいなと思いました。同時視聴の配信では涼菜さんは朗読が好きとおっしゃってましたし、ヘシオドスの叙事詩ということも意識されてたかと思いますが今まで聞いたことない雰囲気でダークな感じでした。曲の雰囲気も歌詞も救いが見当たらないまさにパンドラの箱を開けましたと言わんばかりです。このライブにふさわしいオリジナル曲です。
早くこの曲のMVを見たい!アコースティックじゃなかったらどうなるか、どんな迫力のある動画になるのか楽しみすぎます!

でもこれで終わりでいいのでしょうか、箱の底には凍てついた希望しかないのでしょうか。エンドロールが流れる中でそんなことを考えてしまいました。メタなことを言ってしまうとリハ映像の中でOkeanosも演奏されていたのできっとアンコールで歌うはず!そう思ってアンコールの拍手を続けていました。
そしてPANDORAの後に「Okeanos」の文字が!!!
よかったという思いで全力で拍手をしてしまいました。そして嬉しさ涙が出てしまいました。「よかった、箱の底に希望はまだ残ってたんだ。」そう思いました。
ライブの冒頭の語りの「いつか誰かの語った救済のありかを一緒に探してみませんか」
その救済の存在が証明された瞬間です。
ライブの最後の最後で感動で泣かされました。

さて、肝心の救済ですが、人によって考え方は異なってきます。配信で涼菜さんは「死こそ究極の救済、死は蠱惑的」と言っています(涼菜さんがドロドロとした
話が好きというのはデビュー初期の配信や雲透きの詩のMVが出た当時に言っていた気も。)Okeanosの特典のライナーノーツの中でも作詞をされた松崎啓介さんは肉体を持つことがひとに負の感情をもたらすと書かれています。肉体による支配からの解放、死ぬことが救済になると。
一方でOkeanosでは死を明確に否定しています。でも都合の良い存在が自分を助けるのではなく、自分で生きることを選んで欲しい。「誰もがただ生きることを誇ってほしい」と。
PANDORAやOkeanosを通して箱の底を見ることも、イドの底へと潜ることもそれは生きてる世界で絶望と向き合う作業で自分と向き合う中で生きる意味を考えることだったんじゃないかと思います。
素敵な演奏と歌と共に取り止めもないことをあれやこれやと考えさせられました。

最後にこの素晴らしいライブに携わった関係者各位に感謝を申し上げます。
大変お疲れ様でした。

以上、長くなりましたが今回のライブの感想となります。

これからも凪原涼菜さんの歌が一人でも多くの人に届き救済をもたらしてくれること願っています。

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